いつでもどこでも

まだ私がアメリカにいた頃、学校で聞いたのか、教会で聞いたのか、それとも聖書の勉強会で聞いたのか忘れてしまったが、こう聞いたことだけはしっかりと憶えている。

“God is omnipotent, omniscient, and omnipresent.”

何やら難しそうな言葉に聞こえるが、訳すとこうなる。

“God is omnipotent.”

神は全能である。すなわち神にとって不可能なことはないということだ。神が天地を創造されたことを考えると、なるほどこれは納得できよう。神がこの世界を創られたなんて、とてもじゃないが信じ難いと言われるかもしれないが、神が全能であるということを受け入れてさえしまえば、案外と素直に信じることができよう。

“God is omniscient.”

神は全知である。つまり神はすべてをご存知であるということだ。聖書には、神は私たちの頭に生える髪の毛の数さえも知っていると書いてあるのだから、確かにこれも納得できよう。自分の髪の毛を自分で数えることもできないので、本当に神が知っているのかどうかというも、これもまた疑ってしまえばきりがないかもしれないが、神が全知であるということさえ信じることができれば、そのような疑いも晴れよう。

誰が何と言おうとも、神は神なのである。神が人間のように、その能力に限界があったり、その知性に欠けているとすれば、それは神ではあるまい。神と人が違うのは、人が完璧でないのに対して、神は完全無欠であるということだろう。であるから、神は全知全能であると言われても、納得できるし、信じることもできる。

“God is omnipresent.”

神は偏在される。さて、どうもこれにはぴんとこない。そもそも、偏在なんて言葉は滅多に使うものではないから、なおさら余計に分からない。果たして訳してしまったのが悪いようなので、世間一般で広く使われているOxford Dictionaryで、omnipresentという単語の意味を調べるてみた。Oxfordにはこう書かれいていた。”present everywhere at the same time”つまり、時を同じくしてすべての場所に存在する、という意味だ。なるほど言葉の意味は分かった気がする。だけど、その概念がしっくりこないのだ。神は、今私がこれを書いている自宅にいるかと思えば、世界一の利用者数を誇る新宿駅にもいるし、世界最高峰のエベレストの天辺にもいれば、世界で一番深いとされているマリアナ海溝の最深部にもいるということになる。もっと壮大に考えてしまうと、すべての場所ということは、月の裏側や、火星にもいるということになるのだろうか。

神が全知全能であられるというのは、完全に理解できないまでも、それがどのようなことなのかは分かる。しかし、このomonipresent、偏在というのは、もちろん言葉として理解できるが感覚として掴みにくいのだ。

お天道さんが見ているというのであれば、空の高い所から地上の人々を見守っているという印象を受けるが、それとも違う。全然違うのである。お天道さんが見ているとすれば、それはある一点から見ているに過ぎないが、神はあらゆる所におられるのである。しかも同じ時に。では、場所の数だけ、神が存在するのかといえばそうでもない。もしそうだとしたら、無数の神が存在することになってしまう。先に書いたように、神は完全無欠な存在、つまりは絶対的な存在ということだ。そのような「神」がうじゃうじゃいるというのは、どうもヘンであろう。唯一でなければ絶対とは言えまい。というと、やはり一人の神が、同時にすべての場所にいるということになるのだが……いや、それだからこそ、どうも把握できないのである。

私の足りない頭で考えた、一番納得のいく分かりやすい図はこうである。つまり神はこの世に存在するものすべてを包み込むほど大きいということだ。孫悟空とお釈迦さまの話ではないが、私たちは神の存在の中に存在していることなのだろう。どこに行こうとも、そこには神がおられる。それは神が私たちの後を追ってくるというよりも、私たちが神の思いの中に生きているからなのだろう。