混ざらないはずのもの

世の中には絶対に混ぜてはならないものがある。一番身近なところでは、塩素系の洗剤と酸性タイプの洗剤である。たまに風呂場の掃除にカビ○ラーを使うことがあるが、容器にでかでかと注意書きが書いてある。単体で使っても相当な臭いがするのだから、酸性の洗剤と混ぜ合わせたら、きっととんでもないことになるに違いない。

もっとも混ぜたところで何ら問題のないものもある。風呂場をテーマで言うならば、例えばシャンプーなどがそうだろう。異なるシャンプーを混ぜても有害ガスは発生しない。いや、何もわざわざシャンプーをブレンドして使っているわけではない。私がシャンプーに対してはこだわりがないだけで、要するに安ければ何でも構わないと考えている人だから、買う度にメーカーが違ったりするのである。

そんなわけで先日も近所のドラッグストアーで一番安いリンスインシャンプー(髪を短く刈ってしまったので、今までのようにシャンプーとリンスを別個に使う必要もなくなったので、安くて手間の少ない方を選ぶことにしたので……)を買って、それまで使っていたシャンプーがわずかに残っているボトルに足したのだが、ここでちょっと面白いことが起きた。前に使っていたシャンプーは乳白色だったのだが、新しいリンスインシャンプーは水色だったのである。もちろん、封を開けるまで何色かは意識すらしていなかった。おかげで混ぜ合わさる様子が観察できたのだ。

さて、乳白色のシャンプーに水色のリンスインシャンプーを注ぎ込むとどうなるか。1)混ざる。絶対量が多い水色に呑まれて乳白色は跡形もなく消える。2)シャンプーが重くて下に沈む。上が水色の層、下が乳白色の層になる。3)その反対で、上が乳白色、下が水色になる。などと、クイズ調で書いてみたが、この中に正解はない。実際にどうなったかというと、絵に書いてみせれば一目瞭然だろうけど、それができないために私の表現力が試されてしまうところであるが、簡単に言ってしまうと「底から見たらドーナッツ状、内側が水色の乳白色のリング」になったのだ。リンスインシャンプーが底に溜まっていたシャンプーを外側に押し出した感じである。珍しいものを見ることができたと、ちょっとばかり得した気分になった。(それにしても案外簡単なことで得した気分になる人だ。)残念ながら、しばらく放っておいたら、最後は1)の状態になってしまったのだが。

考えてみると、神の清さと、人の罪深さは本来混じり合うことのできないものなのである。ところが、キリストの働きによって、この相反する性質をもった両者が互いに行き来できるようになったのだ。

そもそも神の義とは人にとって不可侵なものであった。旧約聖書には、このような逸話があったと思う。神が御自身の手によって十の戒めを書き記した石板が収められていた契約の箱があった。ある時、人々は牛車に乗せてその箱を運んでいたが、途中バランスが崩し箱を落としそうになったので、慌てて素手で抑えた人がいた。神から与えられたもの、イスラエルの人々にとって大切な財産を守ろうとしたことで褒められに値することのように思われるのだが、契約の箱に触ってはならぬと神から命じられていたにも関わらず触ってしまったために、その場で死んでしまったのだ。なんとも残酷な、と思ってしまうのだが、それは所詮人の見解でしかない。神が駄目と言ったのであれば、理由は何であれ従わねばならないのである。たとえ善意でしたことであれ、それが結果として神の言いつけに背くことであれば、神は認めないのである。神と人の間には、それだけの隔たりがあるということなのだ。それもこれも、神の前にあって、人は罪を負うものだからである。

しかしキリストが我々の身代わりとなって罪を負ってくれたがために、我々は神の前にあっても不義とされないのである。本来であれば、神に認められない、いやそれどころか、むやみに神に近づこうものなら命を落としても仕方ないはずの人が、神の前に祈りを携えて出ることができるというのは、改めて考えてみると何という恵みなのであろうか。