巣から追われたスズメバチ

特別な理由があったわけではないが、何となく山側にある和室の網戸の外を見たら、何やら大きな虫が飛んでいるのを見つけた。蝉かと思ったのだが、あの飛び方は蝉ではない。私の記憶とたどると、あのような飛び方をする、この季節に出てくる大きな虫はただひとつ、スズメバチである。やはり第六感というか野生の勘というか、そのようなものが働いたのだろうか。文字通り「虫の知らせ」である。なんとも嫌なヤツが飛んでいると思ったけど、まあ一匹くらいならしかたがない。むやみに近づいたり、手を出したりしなければ問題ない。

しかし何やらただごとならぬ空気を感じたので、もう少し網戸に近付いて外の様子を伺ってみた。すると…一匹どころじゃない!群れをなしているではないか!あの大きな不気味な怖ろしげなスズメバチが群をなして飛び回っているのだ!さらによく見ると、そこには大きな大きな巣が出来上がっているではないか。子供の頃に、実家のベランダの屋根にスズメバチが巣を作り始めているのを見たことはあるが、今回のように完成された巣を間近で見るのは初めてだ。でも、嬉しいものではない。

しかも和室の隣は子供部屋である。幸いにも山側は湿気が多く木も沢山はえているためか、蚊が多いので、滅多のことでは網戸を閉めたきりで、窓を開けたりすることはまずない。もし誰かが知らずに窓を開けていたらと考えると、ぞっとしてしまう。

さて、どうしたものか。一匹や二匹だったら殺虫剤でどうにでもなるが、相手は立派な巣である。ひっきりなしにスズメバチが群れをなして出たり入ったりしている。夜行性ではないことを考えて、夜の間に殺虫剤の缶が空っぽになるまで浴びせてやろうかと考えたが、暗くなってから懐中電灯で照らしてみると、巣の表面に隙間なくびっしりと鈴なりになって休んでいる様子をみると、そんな気は瞬時にして失せてしまった。素人の私がやっても無理なのは明白なので、これはもう専門家に頼むしかないのだろうと、マンションの管理会社に対応してもらうことにした。

さて、私が巣を発見したのは日曜日だった。管理会社に連絡したのは月曜日で、その翌日にはすぐに害虫駆除も行ういわゆる便利屋というのが、管理会社の紹介でやってきた。ちょうど私がまだ帰宅する前に来たのだが、後で妻から聞かされたことには、その人の第一声は「うわぁーでっけぇー!」だったそうだ。どうやらもっと小さいものを想定していたらしい。ちなみに巣の直径は30~40センチくらいはありそうな様子だった。

待つこと1時間、ようやくスズメバチの巣は無事に撤去された。巣はなくなったものの、生き残ったスズメバチが巣を探して戻ってくるので、まだしばらくの間は網戸を開けたりするのは控えた方が良いそうな。もちろんスズメバチがいようといまいと開けることはまずないだろう。

翌朝も気になったので外を見たら、確かに何匹か飛び回っていた。その次の日も、そのまた次の日も、やはり戻って来ていた。しかし、その数は少しずつであるが、減っているようにも感じた。

巣を壊され、帰るべき場所を失ったスズメバチというのは、どこか私たちの心に巣食う罪に似ているような気がする。人というのは邪まなことを思ったり考えたりするものである、例えば他人に対する敵意、他人の物に対する妬みといったものがそれである。そのような思いを抱くことが罪であると聖書は教えている。そのような衝動に駆られて簡単に行動しないだけの理性を私たちは備えているが、だからといって罪がないわけではない。そこで私たちはそのような思いや考えを心から駆逐しようと、努力するものだが、一度は退治することができたかのように思えても、気付かぬうちに古巣である私たちの心に戻ってくるのだ。スズメバチの巣と比べてタチガ悪いのは、スズメバチにとっては帰るべき古巣がないのだが、私たちが一度抱いた罪な思いは、戻るべき古巣があるということだ。

スズメバチの巣の跡に殺虫剤をたっぷりと撒くと、しばらくはそこに巣を作ることはないと言う。私たちの心も何か、罪を負かすもので満たさなければいけないのだろう。すなわち、すべての罪を赦す神からの慈愛であろう。