憧れのシナモンガム

仕事をしていると、ふと口寂しく思うことがある。腹が減ったという訳ではないのだが、何かを口にしたいと切に感じるのだ。そんな時に、煎餅なりチョコなりを少々食べると、確かに口寂しさは紛れるのだが、そもそも摂取する必要のない余計な糖分や、その元となる炭水化物を口にしていることを考えると、どうにも後味が悪い。疲れている時の糖分は必要かもしれないが、疲れているわけでもないのに、何かを食べる必要もないだろう。そんなこんなで、消費されるあてのないカロリーが脂肪となって私にまとわりついてくるのには、自分のことながら辟易してしまう今日この頃である。

などとちょっと後悔することがあるものの、会社にはちゃんとお菓子箱を用意してあるというのも事実である。いや、もちろん私ひとりのためではない。同僚と一緒にそれぞれおお菓子を持ち寄って箱にいれておくのだ。腹を空かすのは私だけではないのだから。

つい先日も、なんか物足りない気持ちになって、お菓子箱の中を覗いたのだが、ちょうどその日に限って、私の気を惹くものがなかった。ちょうどその時にひらめいたのである。そうだ、ガムを食べればいいんじゃないか!

思い立ったが吉日ということで、さっそく売店でガムを購入した。モグモグやっていると、案外満たされるものである。もちろん腹じゃなくて、気持ちの方である。私の中でガムの時代が到来したような気分になった。色んな味があって、しかもそれほど高い物ではないので、しばらくあれこれと試していく楽しみもできて一石二鳥とも言うべきか。

ところでガムと言えば、私がアメリカにいる頃はトライデントガムばかりを噛んでいた。最近の若い人たちは知らないかもしれないが、私が子供の頃には「トライデントシュガーレスガム~♪」というCMも流行って(?)いた、あのトライデントガムである。日本にいる頃は、ガムなんてあまり見向きもしなかったが、なぜかアメリカに行ってからよく噛むようになってしまった。とくに私が一番好きだったのはシナモン味だ。シナモンの風味がキツく効いたピンクのガムが懐かしい。紙のパッケージ包まれ、粉を吹いた感じの長方形のあのガムが、私は好きだった。今まで口にしたガムの中で一番おいしい、それが私の感想である。残念ながら日本では見たことがない。それどころか、トライデントガムそのものを日本では、もう見なくなったようである。いつの間にか姿を消してしまったようだ。アメリカではトライデントガムがまだあるようだが、実に残念なことである。

さて単純な私は、シナモン味のトライデントガムのことを考えていたら、居ても立ってもいられなくなってしまい、さっそくその日の帰りに横浜で降りて、ルミネの地下にあるソニープラザと成城石井を覗いてしまった。まさかトライデントガムのシナモン味などはあるまいと期待していなかったのだが…やはり売っていなかった。それ以前にトライデントガムすら置いてなかった。舶来品を多く扱う店を二件見てもないということは、きっと日本にはおいてないのだろう。もはや諦めるしかないのだろうか。アメリカ人の多い横須賀に行けばあるだろうか、それとも人と物の集まる東京に行けばあるだろうか。少なくとも横浜にはなさそうである。どうしても欲しければ、それこそアメリカまで行かないといけないのだろうか。もっともわずか数十円のガムのためにアメリカに行くほど豪快さは持ち合わせてはいないが。

そんなことを考えていると、ガムに対する憧れが、それこそ風船ガムのように私の中で膨らんでいくようだ。私に限らずとも、人というのは、ちょっと気になることに対して憧れを抱いてしまいがちである。それだけに期待したほどのものでもなかったと知った時の失望も大きくなってしまうのである。何事も適度に期待するのが良いのだろうと思うのだが、ひとつだけ例外がある。神に対しては期待し足りないことはあっても、期待し過ぎるということはないのである。なぜなら神にできないことは何一つとしてないからだ。人や物には限界というものがある。神は限界がない。創造されたものと、創造したものとの違いであろう。どちらに信頼を寄せたほうが良いのかといえば、それはもちろんすべてを創り出した神であろう。