嵐に巻き込まれて

それでは続けてノア…ではなくて、ヨナの話をしてみよう。ノア、ヨナ…どちらも二文字だし、声に出しても似たような雰囲気である。そういえば、この二人、どちらも船にまつわる話が付きまとっている。ノアは神のことばに従って、人々に嘲られながらも箱舟を造り、家族揃って命を救われた話であったが、ヨナは神のことばに逆らって、一緒にいた関係のない人々をも嵐に巻き込んでしまった。強いて呼ぶなら、前者は救いの船、後者は背きの船とでも言うべきか。前者は船に乗ることで命を救われたが、後者は命を危険にさらすこととなった、ちょっと考えてみると、神に従うことは周囲の人々にも祝福を与えることになるが、その反対に神に背くことは周りにも災いをもたらすことになるのではないかと思えしまう。となると、神のことばに背くことは、愚かしいばかりか、恐ろしくすら思えてしまう。もちろん神は、いわゆる天罰を与えることのない神であるが、それでも人の道を正すのであれば、手段を選ばないであろう。それが神を知らない人々に災いと受け取られてしまってもやむを得ないだろう。

まさしく今回のヨナがその通りになってしまった。神の言いつけに納得できなかった彼は、便船に乗って神から逃れようとして、嵐に遭って進むに進めなくなったのは前回も見た通りだが、もちろんその船にはヨナだけでなく、船長やら水夫やら他のお客やらも乗っていたわけだ。当然ながらそれらの人々も嵐に巻き込まれてしまった。彼らはすっかり怯えてしまい、各々が信じるところの神々に祈ったり、船を少しでも軽くしようと荷物を海に捨てたりと右往左往していた。さて、肝心のヨナはどうしたかというと、神に祈るでもなく、人々の手伝いをするでもなく、船室に入ってぐっすりと眠っていたのだ。そこまでふて腐れなくてもよいではないかと思うのだが、彼は頑固な性格だったのだろうか、非協力的であった。とは言っても、あまり彼のことを悪く言うのも気が引けてしまう。彼の気持ちが分からないでもない。私も何か気に入らないことがあると、どちらかというと身を引いてしまうことがあるから。

さて、ヨナが寝ているのを見掛けた船長が、彼のところへやってきて、起きて神に祈るようにと頼んだのだったが、残念ながら彼は船長の頼みにも耳を貸さなかったようだ。ヨナが祈れば助かるかもしれないという船長の期待は裏切られたのだった。しかし、ヨナが祈ったところで、嵐は本当に収まっただろうか?私はそうは思わない。海が静まったら、それを良いことにヨナはまた逃げてしまっただろう。

とうとう船乗りたちは、誰のせいで嵐に遭っているのかを、くじ引きで決めることにした。なんとも不合理な方法であるが、そう考えてしまうほど、彼らは必死だったのかもしれない。ヨナの番がまわってきて、彼がくじを引いたところ、大当たり!なんという偶然!と言いたくなるが、偶然とも言い切れないだろう。この嵐を起こしているのが神であれば、その原因が誰にあるのかをはっきりさせるのも神の仕業である。

人々はヨナに詰め寄り、どこから来たのか、何をしたのかと聞いた。彼は、自分は海と陸とを創造された神を礼拝するヘブル人であり、その神から逃げていると答えた。それを知った人々は、さらに恐れをなしてしまった。それもそのはずだろう。彼らのいる海は、まさしくヨナが信じ、ヨナが背を向けた神の創られてものであり、創造者として海を意のままに操ることのできる神が嵐を起こしているのである。これではいくら待ったとしても嵐が収まらないのは想像に難くない。そればかりか海はますます激しく荒れる一方だった。どうしたら収まるのかと、彼らはヨナに聞くと、彼は自分を海に放り出すようにと言った。彼らは躊躇っていたが、嵐は威力を増すばかりだったので、とうとう神に許しを乞い、ヨナを船から放り出してしまった。するとすぐに海は静かになった。神の力を間近に見た人々は、それまで以上に神を恐れるようになった。

神は嵐を起こされる方であるが、嵐を収める方でもある。神を恐れることを忘れないで、神の許しを求め、神に従うのであれば、どのような嵐でも収まるのだ。