枯れ木とニネベの町

ヨナは神に対してあれこれ文句を言った後、結局そのままふて腐れてしまい、ニネベの町に戻らずに町を出たところの、さらに東のはずれへ身を移してしまった。彼はそこに掘っ立て小屋を作り、町の様子を伺っていたという。彼にはどうにも諦めの悪いところがあったようだ。遅かれ早かれまだ彼の目の黒いうちに、ニネベは神に滅ぼされしまうに違いないと妙な期待をしていたのかもしれない。そのようなヨナの気持ちも分からないでもない。彼はニネベの人々と彼らのやっていること、すなわち罪の悔い改めを信用していなかったのかもしれない。しばらく待つうちに、ぼろが出てしまうかもしれないと考えていたとしても不思議ではあるまい。もしかしたら、ヨナは自分自身のことをここで少し省みたかもしれない。とは言っても、自らのことを反省するではなく、自分自身と彼らを比較して、こう思ったかもしれない。神の下僕である自分でさえも神に背を向け、神から逃れようとしたことがあるのだから、ましてや俄かに神に立ち返ったニネベの人々のことだから、さほど日を置かずに以前のような罪に満ちた生活に戻ってしまうのではないか、と。人間不信というか、人の信仰を疑い易いのかもしれない。それに自らの信仰を基準に、他の人を量ってしまうところがあったのかもしれない。

しかしこれはヨナに限ったことではないだろう。私自身もそうであるし、さすがに他の人に聞いたことはないから正確なところは分からないから断言することはできないが、信仰者といえども、神に忠実に歩もうと努めていようとも、人というのは自分の物差しで他人を量ってしまいがちなものではないだろうか。それまで神を知らなかった者が、神を知ることになったら、それは本来喜ぶべきことであるのだが、ヨナのようにどこかそれを素直に受け入れることができないこともあるのだ。まさか、あのような人が…と考えてしまうと、どうせ続かないさ…と思ってしまうのだ。人というのは、たとえ信仰があっても、いや、むしろ信仰があるからこそ余計に、人を量ってしまいやすいのである。

さてヨナに話を戻すが、彼のいた小屋であるが、どうやら小屋とも呼べないほど粗末なものだったようだ。もちろん彼は大工ではなく、預言者なのだから仕方がないのかもしれないが。そこで彼は焼けるような日差しと熱風にさらされ、なかなかに耐え難いものであったに違いない。そのようなヨナを哀れに思ったのか、神は一本のとうごまの木を生えさせ、その葉がヨナの上を覆うように成長させ、ヨナが日差しで苦しむことのないようにさせた。とうごまというのが、どのような木か私には分からないが、写真で見ると、天狗のうちわのような葉っぱをしており、なるほどこれなら良い日陰を提供できようと思われる。

ヨナはそれを大変に喜んだという。ニネベの人々が救われても喜ばなかった彼だったが、さすがに我が身のことになると、わずかに小さなことでも嬉しくなるとは、なんとも身勝手なものである。などと言い放ってしまうのはいとも容易いことであるが、自分も似たようなところがあるので、そのまま言葉が自分に跳ね返ってくるのである。

ところが神は、その翌日のまだ日が昇る前に、とうごまの木を枯らせてしまったのだ。夜が明けると再びそれまでのような灼熱が彼を照らしたので、再び彼は苦しんだ。そしてまた、これならまだ死んだほうがましであると、文句を言い出した。神はヨナに、なぜ一本のとうごまごときで怒るのかと聞くと、ヨナは神に噛み付くように、当然であると答えた。この受け答えを聞くと、ヨナが如何にこのとうごまの木を大事に思っていたかが想像できよう。

ヨナの返事を聞いて、神は彼に言った。ヨナが一夜で生え一夜で枯れたとうごまを惜しむのであれば、それよりも多くの人々がいるニネベほどの町を、神が惜しむのは当然であると教えたのだった。この後、ヨナがどうしたのか、どうなったのかは分からない。彼の話はこれで終わりだが、彼に共感を覚える私は今ここにこうしている。もし彼の代弁をするとしたら、何と言うだろうか。そこでしばし考えてみたのだが、神の仰るとおりなので、さすがに返す言葉が見当たらない。

人が罪を悔い改めるのなら、それを神が赦すのを妨げるものは、何一つとしてない。