テオピロへ 1

昔、テオピロというローマ人の役人がいた。彼の長年の友人にルカという名のユダヤ人の医者がいた。

いや、正確には医者だった、と言うべきだろうか。かつては少しばかり名の知られた医者だった。人々からの信頼も厚かった。歳をを重ねても旺盛な探求心は衰えることなく、なかなか頭の切れる男だった。ところがどうしたことか、ユダヤ人の指導者から敵視されていたイエス・キリストという人物に対して信仰を持つようになった。それからというもの、彼はイエス・キリストについて人々に教えるために、地中海沿岸の諸地方を巡り歩くようになった。彼や彼の仲間の話を聞くうち、テオピロもローマ人でありながら、心動かされキリストに対して信仰を持つに至った。

もちろんテオピロ自身はキリストに会ったことはなかった。またルカにしてもキリストに会ったことはなかった。しかし彼はキリストに会ったことがあるという人たちや、キリストがまだ生きていた頃、寝起きを共にしていた弟子たちから聞いた話をまとめ、その一生をひとつの記録として残すことにした。もともとキリストをよく知らないテオピロのためだったのだろう。それを読み、彼はイエス・キリストがどのような人物であるかを、さらに詳しく知ることができただろう。

ある晩のこと、一人の少年がテオピロのところへやってきた。彼は懐からパピルスの巻物を取り出すと、テオピロに渡した。

それはルカの書いたもう一つの記録であった。彼が共に旅をしている仲間や、キリストのことを世の果てまでも伝えようとしている人々について書かれているものだった。

巻物を広げると、そこにはイエスが天に上げられた時のことが書かれていた。

イエスの弟子たちへの言葉がそこには書かれていた。「今少しエルサレムに留まり、わたしの話す神の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けましたが、あなたたちは聖霊によってバプテスマを受けます。」

もしかしたらテオピロは水のバプテスマを受けていたかもしれない。友人であるルカ本人が彼に洗礼を授けたとしても不思議ではない。そして彼はそれが何を意味するのかを、自分では理解しているつもりだったろう。すなわち、罪からの清めと、キリスト信仰の告白ということだ。しかし、聖霊のバプテスマとは何のことだろうか。

弟子たちも果たして師の言葉をどれほど理解できたことだろうか。彼らのうちには、まだイエスがローマの支配からユダヤ人たちを救い出し、彼らの国家を再建してくれるのかと期待していた者もいたようだ。しかし、イエスの答えはそのような彼らを、がっかりさせるようなものだった。「あなたたちはそのようなことを気にしないでよいのです。すべてを知っておられる父なる神が決めることなのですから。」

続けてこのように書かれていた。「聖霊があなたたちの上に臨むとき、あなたたちは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および世界の果てにまで、わたしとわたしの語ったこと、行ったことを伝えるようになるのです。」

イエスはそう言い残すと、天の上り、やがて雲に包まれて見えなくなってしまったという。彼らが視線を戻すと、そこに白い衣をまとった二人の人が立っていた。おそらく、神の御使いだろう。「何をいつまでも天を見上げているのですか。皆さんが見たのと同じように、イエスは再びやってくるのです。」

もしかしたら自分もイエス・キリストに会えるかもしれない、テオピロはそう期待したかもしれない。再びとは、いつのことなのだろう。しかし、それは誰にも分かることではなかった。すべては全知全能の神だけが分かっていることなのだから。

もう一つ。テオピロとは人の名前であるが、「神に愛された者」「神を愛する者」という意味がある。すなわち、ここで言うテオピロとは私たちを示していると考えることもできるだろう。