テオピロへ 2

弟子たちはオリーブ山でイエスが天に昇られるのを見送った。夢見心地でエルサレムへ帰って行ったことだろう。師がいなくなったことで一抹の不安もあったかもしれないが、イエスは再び戻られると御使いに告げられ、彼らは幾分か安心したことだろう。彼らはイエスの言いつけ通り、エルサレムで神の約束を待つことにした。

さてイエスの弟子たちは十二人であったという。ところが、うちひとりのユダがイエスを金銭と引き替えに裏切ってしまい、それがもとでイエスは捕らえられ、十字架につけられて殺されてしまったのだ。

以前ルカがテオピロに宛てた書にそのように記してあったことを彼は思い出した。

ところが裏切り者ユダは、イエスを金で売ったことへの罪悪感から首を吊って死んでしまった。そのため弟子が十一人しかいないということを、ルカはテオピロに今回の書で言ってきた。

テオピロはあれこれと考えたことだろう。十一人でも構わないのではないか…いや、そういえば、イエスは弟子たちを二人一組にして各地を旅させ、奇跡を行わせたと聞いたことがある。それを考えると十二人いた方がいいのだろうか…。

では実際はどうだったのだろうか。ペテロがそこに集まっていた人々に話したことには、聖書の教えるところによって、もう一人選ぶ必要があるということであった。ペテロに言わせると、聖書の詩篇にそのことが記されているということだった。

気になったテオピロはそれが詩篇のどこに書いてあるかを調べたことだろう。すると、彼は詩篇にこう書かれているのを見つけたに違いない。「…彼の仕事は他人が取り…」(詩篇109篇8節)

あぁそうだったのか、と彼は納得したことだろう。明確かつ具体的に十二人の弟子が必要であると書かれているわけではないが、イエスの教えを直接聞き、彼と寝食を共にしたもっとも身近な弟子のペテロが言っているのだから、まず間違っていることはないだろう。

弟子になるためには条件があった。すなわちイエスがヨハネによってヨルダン川で洗礼を受けた時から、つい先頃イエスが天に昇られた時まで、イエスや弟子たちと行動を共にした者でなければならないということだった。それというのも、弟子としての重要な、おそらく一番大事な役目が、イエス・キリストの復活の証人となることであったからだ。イエスがどのようなお方で、人々に何を教えたか、またいかなる奇跡を行ったかを、実際に目にし、耳にし、経験した者でなくては勤まらないからだろう。

そこで、バルサバと呼ばれているヨセフとマッテヤという二人から選ぶこととなった。どちらもテオピロにとっては初めて聞く名前であった。ルカが書いた福音にも登場していなかったし、また今まで話題に上ったこともなかったからだ。

二人のうち一人を選ばなければならないわけだが、彼らは話し合うわけでもなく、投票をするわけでもなかった。何のことはない、単にくじ引きで決めることになったのだ。面白いことと言えば、面白い。無責任と言えば、まぁそう言えなくもないような気がする。重要な役割を決めるのだから、色々と考えるべきことがあっても然るべきだろう。

とはいっても、祈りを伴ってのくじ引きである。つまり神にすべての決定を委ねたということになるのだろう。考えてみると、一番良い方法だったのかもしれない。神の子であるイエスの証人となるにちょうど良い人物を決めるのは、やはり神御自身なのだろう。

これを読んで、テオピロは思ったかもしれない。神の子イエスのことを伝えるのに、特別な能力だの資格だのはいらないのだ。ただ彼がどのような一生を歩んだかを知っていればいいのだ。そして、それを伝えるかどうかは、自らの力に頼らず、神に委ねるだけでよい。そうすれば、神が御自身の決められたときに、自分を救い主の証人として下さるであろうことを。