テオピロへ 5

先にも見たとおり、テオピロはローマの役人であった。役人といっても様々な位があっただろう。テオピロがどのような役についていたのかは、分からない。一説によると、彼はローマを治めていた長官であり、ローマ皇帝ウェスパシアヌスの兄であったとも言われている。もっとも長官というと、何やら高級官僚のように思えてしまうが、実際は下級役人でも、当時のローマでは「長官」と呼ばれていたらしい。弟が皇帝となったということは、もしかしたらテオピロはさほどの人物ではなかったのかもしれない。

そう考えてみると、実際のテオピロがどのような人物であったのかは、彼が信徒であったということと、ルカの友人であったとうことを除いては、何も分からない。

もしかしたら、我々の多くがそうであるように、自らに与えられた職務をこなす日々を送っていた平凡な市井の人だったのかもしれない。

彼は自分自身が、特に裕福であるとも思っていなかっただろう。だからと言って、自分は貧しいと考えたこともなかった。上を見たらきりがないことくらい分かっていた。何と言っても弟のウェスパシアヌスと比べてみたら、彼の財産など微々たるものであったろう。それに下を見たら下を見たで、自分より貧しい者がいることにも十分気付いていただろう。上を見たら、自分が哀れに思え、下を見たら、自分は恵まれていると考えることもしばしばあったかもしれない。そう思うときに、なぜ自分は素直に自分の置かれている境遇に満足できないのかと、そのような自身に対して嫌気を覚えたことだろう。

ルカが送って寄越した書簡を見ると、どうやら弟子たちはそのような思いに捕らわれることはなかったようである。それは彼らが裕福だったからというわけではない。そうでない代わりに、彼らはいっさいのものを共有していたという。いっさいのものとは何であろうか。衣服なのか?それとも食料なのか?はたまた住居なのか?いや、どうやらそれだけではなかったようだ。彼らは、それぞれの資産や持ち物を売っては、いくらかの金銭を得て、各人の必要に応じて分け合ってたというではないか。彼らは困ることを知らなかった。そしてそれで満足していた。

テオピロは自分の周りを見てみた。自分の持っている服を、それを必要としている信徒に分けることはできるだろう。腹を空かしている信徒がいれば、食卓に招くこともできるだろう。雨露をしのぐ場所を求めている信徒がいれば、空いている部屋を使わせることもできるだろう。それくらいなら、自分でもできるかもしれないと、テオピロは考えた。しかし、自分の家を売り払って、その売り上げを人々に分けることができるだろうか。残念ながら彼にそうする自信はなかった。そのようなことをしてしまっては、明日から自分自身の生活がどうなってしまうか、不安に覚えてしまったからだ。ルカが言うとおりであれば、すべてのものを共有しているのだから、心配することはないのだろう。しかし、それでも自分の財産を手放すということにはためらいがあった。

ところで信徒たちは、自らの財産を手放し、すべてを共有することで、何かを得たのだろうか。それとも失うばかりだったのか。

ルカはこう書いていた。「信徒たちは毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美していたのです。」

心配することはないのだろうと分かっていても、それでも、さすがに今の生活に別れを告げることはできないと、テオピロは思ったことだろう。なぜなら、彼にはローマの役人としての職務があり、生活があった。

どうしたらいいのだろうかと、テオピロは悩んだに違いない。

しかし、いくら悩んだところで、答えが得られるわけではなかった。ただ、信仰を持っていれば、たとえ全てを失ったとしても、神は他の信徒を通して彼の必要を満たすことができるということは、何となく分かるような気がした。そして、自分も他の信徒の必要を満たすことができるのではないかとも考えてみたのだった。

できることからやればいいのではないかと、そう思うのであった。