テオピロへ 16

キリストがサウロに現れたという驚くべき事件の後、神の栄光とも言える眩しい光で目が見えなくなってしまったサウロは、同行の者たちに連れられてダマスコへと向かった。もはや彼は、当初の目的であったキリスト者たちを捕らえることなど、つゆほども考えてはいなかっただろう。彼はその後の三日の間、光から閉ざされた暗闇の中で過ごし、飲むことも食べることもしなかったという。

なぜパウロも三日も断食をしていたのだろうかと、テオピロはちょっと不思議に思った。彼はキリストに出会ったことに、相当の衝撃を受けていたのだろうか。放心状態で何も体が受け付けなかったのだろうか。しかし、考えても見れば、サウロがそのような弱い人物であるようには思えない。おそらく彼は、祈っていたのだろう。キリスト者に反対はしていたが、彼に信仰が無かったわけではない。彼は祭司や律法学者からしっかりと教育されていた人物に違いない。彼の神に対する信仰は人並み、いやそれ以上であったかもしれない。そのような彼が、今まで偽りと信じて疑わなかった復活されたキリストに出会ったのだ。そのような彼だから、祈って過ごしていたと考えても不思議ではない。彼はその三日間、何を祈ったのだろうか。彼の今までの行いの悔い改めだろうか。これからどうすればよいのかを求めていたのだろうか。

さて、ダマスコの町に住む信徒の一人に、アナニヤという人物がいた。キリストは幻の中で彼に伝えたそうだ。すなわち、サウロのところへ出掛けて、彼に手を置いて祈るようということだった。キリストは、彼がアナニヤがやってくるのを待っているであろうことを伝えた。

それを聞いて、アナニヤはどう思っただろうか。誰が何と言おうとも、サウロは彼ら信徒にとっては敵である。サウロが今回ダマスコへやってきた最大の理由が、老若男女問わず信徒であれば捕らえることであったのは、アナニヤもうわさに聞いていた。当然、彼はあまり気が進まなかったであろう。アナニヤは幻の中で、サウロがどれほど信徒たちを苦しめてきたかをキリストに訴えた。しかし、キリストはアナニヤの訴えに耳を貸すことはなかった。キリストはサウロを異邦人や諸国の王たち、各地に散らばったらアブラハムの子孫たちに福音を伝えるために用いようと考えていること、またそのために、彼は苦難や困難に遭遇するであろうことをアナニヤに言った。

主であるキリストがそこまで言うのであれば、アナニヤは自身の個人的な感情はどうであれ、示されたことに従うしかなかった。

本当にサウロは心を入れ替えたのだろうか…。アナニヤは道すがら考えたかもしれない。もしかしたら、サウロは自分のことをその場で捕らえてしまうのではないだろうか…。まったく不安がなかったわけでもないだろう。しかしキリストがサウロのために計画されていることがあるのなら、アナニヤにはそれを妨げることはできなかった。

アナニヤはサウロのところへやってきて、彼に手を置いて祈った。するとすぐにサウロの目は再び開かれ、彼は洗礼を受けた。数日の間、ダマスコの信徒たちと共に過ごした彼は会堂へ出掛けていった。ところが、今回は人々を迫害するためではなく、キリストが神の子であるということを伝えるために。

神は不思議なことをされるお方であると、今までに幾度となく聞いてきたが、サウロの話を読むと、まったくその通りであると思わずにはいられない。もしかしたら、それを一番感じたのはアナニヤだったかもしれない。

ところでテオピロはひとつのことに気付いた。それが単なる偶然なのか、それとも深い意味があるのかは、よく分からない。しかし光の見えないところで三日の間、飲まず食わずで過ごしていたサウロの姿は、三日間、墓の中にいたキリストのことをテオピロに思い出させた。こともあろうかキリストの復活を否定し、それを伝える人々を迫害していた当の本人が、キリストの復活を間接的に体験することとなってしまったのだから、神のされることは良い意味で、まったく予期することができない。まさしく人の理解を超えている。

それにしても、死を打ち破って復活されたキリストの姿と、過去の過ちから解放され、新たな命を得たサウロの様子は、しばらくテオピロの記憶に残ったのだった。