テオピロへ 23

人々からほめられるまま気を良くして、神より優れたものであるかのようにあからさまに振る舞ったヘロデが、神の怒りに触れて命を落とした。

そのような出来事があった一方で、アンテオケにいた信徒のバルナバとサウロは、飢饉に苦しむユダヤ地方の信徒たちへ救援物資を届けるべく旅に出ていたが、ようやく帰ってきた。前に読んだことを思い出すと分かるが、アンテオケにはユダヤ人だけでなく異邦人の信徒たちも多くいた。ここを読んで意外と思ったのは、その信徒の中にはヘロデ王の兄弟であるマナエンという人がいたことだ。ヘロデ王と言っても、同じ名前の王が何人かいたこともあって、どのヘロデだろうかとテオピロは思った。

ふと以前聞いた噂を思い出した。王の身内の人間がキリストを信じたといつかどこかで聞いたことがあるような気がした。たしか、その人はバプテスマのヨハネを斬首させたヘロデの兄弟であったという。なぜ兄弟でこれほどまでに違うのであろうかと、改めて不思議に思えたが、ヨハネの首を切らせたヘロデは必ずしも彼自身が望んでそうしたわけではなかったとも言われている。彼はむしろヨハネの話を聞くことを楽しみにさえしていたとか。ヘロデ王にとって残念だったのは、彼は二人目の妻の娘に褒美を取らせようと彼女の望みを聞いたら、彼女がヨハネの首を欲しいと言ったがために、人々の面前でもあり、引くに引けなくなってしまい、結局はヨハネの首を刎ねてしまったことだろう。そう考えると、このヘロデもその兄弟のマナエンも根っからの悪人ではなかったのかもしれない。それなら、二人のうちどちらかが罪を悔い改めて、神に立ち返ったとしても不思議ではない。肝心のヘロデはその後どうなったのかは、テオピロは聞いたことがなかった。

さて、そのマナエンを含めた信徒たちが礼拝をしていると、聖霊が彼らに告げて言ったそうだ。それは、バルナバとサウロを神の目的のために遣わすようにということだった。せっかく長旅から戻ってきたばかりで積もる話もあっただろうし、彼らを旅立たせるのは少し惜しく思えたであろうが、神ご自身がそう命じておられるのであれば、それが最善の道なのであろうと彼らは信じていたに違いない。そこで、彼らは二人のために祈り、彼らを送り出した。

バルナバとサウロは船に乗り、キプロスへとやってきた。さて、二人は聖霊に遣わされてやってきたという。アンテオケの信徒たちは聖霊に導かれて、二人を送り出したと書かれていたことを考えると、バルナバもサウロもアンテオケの教会に集う人々も、すべてが聖霊が命じたことに忠実に従ったということなのだろう。すべてをご存知である神は、おそらく彼らの神に対する信仰の深さにも気付いていたことだろう。それだからこそ、神はアンテオケの教会を通して、この二人を福音を広めるために遣わそうと考えたのかもしれない。

キプロス島についた彼らはユダヤ人の会堂を巡ってはキリストの福音を伝えていた。ある時、彼らはバルイエスという名の偽預言者に出会った。それにしてもふざけた名前であるとテオピロは思った。イエスの息子という意味の名を称していながら、その行いは人を神から遠ざけるものであった。もっともこの男がイエス・キリストを知っておきながら、わざとそのように称していたのか、それとも本当にイエスと言う名の人の息子であったのかは分からないから何とも言えないが…。

さてこの男はキプロスを治めているローマ人の総督のところにいた。総督は知的な人物であり、是非ともバルナバとサウロを招待して、彼らの話を聞いてみたいと考えていた。ところがバルイエスは総督が神に立ち返ることを邪魔しようとしていた。その様子を見たサウロは聖霊の力を受けて、彼を叱り付けて言った。「嘘と偽りに満ちた者。なぜ主の正しい道を曲げることをやめないのか。見よ。主の御手によって、おまえの目はしばらくの間見えなくなるだろう。」

そしてその通りになった。偽預言者の努力も虚しく、いや、むしろ彼の間違った行いの故に神の力が現されて、その様子を目の当たりにした総督は神に立ち返り、信仰を持つようになったのだ。どのような嘘も、偽りも、悪意も、妨げも、神の救いの力には敵わないということなのだろう。