テオピロへ 28

バルナバとパウロは再びアンテオケに戻ってきた。彼らはそこでそれまでと変わりなく、神のことばを人々に伝えていた。このような二人の様子を見ると、なかなか気が合う仲間のように思われるし、実際そうであったのだろう。さて幾日か経った後、しばらく前に神のことばを伝えた各地方の信徒たちはどうしているか、様子を確かめに行こうという話になった。ここまでは良かったのだが、誰を一緒に連れていくかで二人は揉めてしまい、結局それぞれ別の方面に向かうことになってしまったのだ。ことの意外な展開に、テオピロは驚きを禁じ得なかった。今まで神の導きに従って、苦楽を共にした仲間であったはずなのに、誰を連れて行くかという、テオピロから見てみれば些細なことで仲違いをしてしまうとは、何ともったいないというか、残念なことのように思われた。互いに話し合えば妥協の余地を見出すこともでき、そうすれば進む道を別にすることもなかったであろうに、正直なところ大人げないというか、馬鹿らしく思えてしまう。

しかし、テオピロがあれこれ考えてみたところで、二人は別れてしまったのだから、どうしようもない。考えようによっては、このような結果になってしまったということも、神が許されたからだろう。神がどうしても二人を共に旅をさせたいと願ったのならば、このようなことにはならなかったに違いない。では、神はどのような思惑でおられたのだろうか。テオピロはそこに興味を持った。

パウロはシラスという名の信徒を伴って、諸地方を巡りつつ神のことばを人々に教えていった。またエルサレムの長老たちが決めたことを人々に伝えていった。各地の信徒たちはパウロの言葉を聞いて励まされ、彼らの信仰は強められることとなった。そして、ますます多くの人々が神に立ち返ることになったのだ。

神はバルナバと別れてしまった後でもパウロを用いられたのだった。二人に別々の道を進ませることによって、より遠い地方にまでご自身のことばを伝えんとしたのだろうか。もっともバルナバがどうしたのかについては、まだルカが何とも書いていないので分からないから、テオピロの勝手な推測でしかないのだが。

パウロたちは神に導かれるまま旅を続けていた。神は文字通りパウロたちの進むべき道を示していたようだ。いや、進んではならない道を示したというべきかもしれない。神の霊はアジアで彼らが神のことばを語ることを禁じられた。彼らがビテニヤへ向かおうとしたら、そちらへの道もキリストの霊によって閉ざされてしまった。パウロたちはやむなく海岸沿いのトロアスの町へ向かったことだろう。彼らがそこに滞在していたある夜のこと、パウロは幻を見た。それは一人のマケドニア人が助けを求めるというものだった。

ところで、ここに至って話し手が「私たち」と変わっていることにテオピロは気付いた。ということは、ルカはここから先、パウロたちに同行したということなのだろうか。だとしたら、何とも羨ましい限りである。テオピロもいつかそのような旅に出たいと思っていたが、彼にはそうするだけの決意がまだ持てないでいた。

さて、それはそれで置いておくとして、パウロはたちはさっそくマケドニアに向けて出発した。もしかしたら、神は彼らをいっときでも早くマケドニアに行かせたいがために、他の町に向かうことを禁じたのかも知れない。すべての人々のありとあらゆる罪を赦されるような慈悲深く寛容な神が、この町は好かないとか、あの町には希望が持てないとか、そのような否定的な理由から神のことばが伝わるのを諦めるとも思えない。ということは、もっと重要なことがあるからと考えられるだろう。それがこのマケドニアへの旅であろうか。神は何をなさろうというのだろうか…。

神は人を導かれるというが、パウロの旅の様子を読むと、確かにそうかもしれないと納得させられる。時として神は、人が良しと思って進もうとする道を閉ざされることがあるかもしれないが、それは必ずしもその先にあるものを神が否定しているというわけではないだろう。神が別の道に導くということは、さらに良いものがその先にあるからなのかもしれない。