テオピロへ 31

パウロたちは無事にマケドニアの町を後にした。

そういえばパウロたちは神に導かれてマケドニアへやってきたのだった。最初は何か特別な目的のために、彼らが導かれたものだとテオピロは思っていたのだが、ルカの手紙を読む限りでは、これといって何か特別なことが起きた様子はまるでなかった。それまでに幾度となく繰り返されたいたことが、マケドニアでも起きただけのように思われた。人々が救われ、パウロたちが捕らえられて罰せられ、神の働く奇跡によって解放され、その結果としてさらに多くの人々が救われる。

そうは思ったものの、神がなされることにはそれなりの理由があるのだろう。では神の理由とは何かというと、それはパウロや弟子たちの行動に現れているではないか。

さてパウロたちはその後も様々な地方を巡っては、神のことばを伝えて行った。

シラスと分かれた後、パウロはギリシヤの都アテネへとやってきた。当然異邦人の土地であるから、パウロにとっては普段目にすることもなければ、接することもないような物事が溢れていたことだろう。何が彼を一番失望させたかといえば、偶像の多さであった。彼は苛立ちさえ覚えたようだ。パウロはアテネでもユダヤ人たちや神を信じる人たちと彼らの会堂で話しをし、ギリシヤ人たちとは広場に集まって議論をしていたという。そこには哲学者たちもおり、パウロが何を話しているのかと大変に気になったらしい。

アテネの人々は自分たちでも言っているように、好奇心が強いのか何なのか新しいことや珍しいことを聞くのが好きだったという。パウロの話をもっと詳しく知りたいと思った人々は、パウロをアレオパゴスと呼ばれている彼らの議会へと連れて行った。これまでとは違う強制されてというよりも招待されて行ったようだ。異邦人の地で丁寧な扱いを受けることになるとは、パウロも意外に思ったかもしれない。

パウロは議会の真ん中に立つと、集まっていたアテネの人々に向かって話し始めた。まずパウロは彼らの宗教心の深さをほめた。思えば、異邦人でも信仰心がある人々についてはその信仰をほめることはあったが、異邦人の宗教心の深さを評価したことはなかったような気がする。では宗教心と信仰心の違いとは何であろうか。テオピロは彼なりに考えてみた。宗教心とは神、アテネの人々にとってはギリシヤの神々であろうか、についての教えを敬う心であり、信仰心とは神、もしくは神を知らずとも何か人間の理解を超えた存在を敬う心であろう。パウロの目から見たら、アテネの人々は前者であり後者ではなかったのかもしれない

そこでパウロはアテネの町の中にあった「知られない神に。」と刻まれていた祭壇について語った。アテネの人々が知らずに礼拝している神が、すなわちパウロが伝えようとしている天地万物を創造し、すべてを治めておられる神であると語り、また人は神の子孫であり、神が許しておられるから地の上に生きていられると教えた。また、そのような人が金や銀や石で造った像が神であるなどと考えてはならないとも注意を与えた。そして、その神は人々が悔い改めることを望んでおり、そのためにキリストを遣わし人の罪の身代わりとして死に渡されたが、死から復活されたことを伝えた。

ところが、パウロがキリストの復活について語ると、彼を馬鹿にして笑う者がでてきた。他の人々は、ひとまずこの場はこれまでにして、また機会があったら話を聞こうと言った。パウロはどうしたかというと、そのような人々を後に残して、さっさと議会から帰ってしまった。彼はアテネの人々は知識への探求心があることを知ったが、彼らには神を求める思いが欠けていることにも気付いたのだろう。彼らが神を求めないのであれば、いくらパウロが話したところで、彼らが神に立ち返ることはないと思ったのかもしれない。もっとも、アテネの人々すべてがそうであったわけではない。議会で裁判官を務める役人をはじめ、ダマリスという名の女性や、彼ら以外にも神に立ち返ったのだ。

神を人々に伝えるというパウロの働きは完全に無駄ではなかったということになる。異国の神々が祭られ礼拝されている土地であっても、そこに神を求める人々がいて、神のことばが語られさえすれば、人々は神のところに帰ってくるのだろう。何はともあれまずは自分自身が神のことばをしっかりと握りしめておきたい。テオピロはそう思った。