テオピロへ 37

パウロはその後も諸地方を巡っては、休むことなく神のことばを伝えていった。

ところでテオピロは、いつのまに手紙の内容が「私たち」という視点から書かれていることに気がついた。どうやら友人のルカはパウロと一緒に旅を続けていたようだ。それにしても一連の騒ぎに巻き込まれたことはなかったようなので、ひとまず友人が無事でいられたことに安心をした。しかし、考えてみれば一緒に旅をしていたからといって、常に行動を共にしていたというわけでもなかったのだろう。元々ルカは医者であるのだから、パウロが人々に教えているときに、彼は病人の面倒をみたり、怪我人の手当をしていたのかもしれない。神に従うにしても、色々とやり方あるものだと思った。

それともう一つ気付いたのだが、神に従うことが必ずしも困難を招くということでもないようである。テオピロの勝手な解釈であるが、ルカとパウロの通った道を比べてみると、そう思えてしまうのだ。もっともルカも何も苦労をしなかったわけでもあるまいが。ルカに考えを読まれたら、ひどく怒られてしまいそうで、テオピロはひとりで肩をすくめてしまった。

信仰のために自らの命をも犠牲にしてしまう信徒もいるのに、そうのようなことを考えてしまうのは、少しばかり不謹慎な気がしなくもない。結局のところ、神はその人にとって何が最善であるのかを知っておられるのだから、神を信じるその人の身にどのような事が起ころうとも、それが最良の道ということになるのだろう。

などとテオピロはどちらかといえば、安穏と日々を過ごしている自分を少し弁護しているような気がしなくもなかったが、それはそれでもいいではないかと思った。

さて世の中には色々な人がいるものである。そして人が集まれば、様々なことが起こるものである。トロアスという町で過ごす最後の夜に、パウロは夜遅くまで人々に神のことばを教えていたという。場所はとある信徒の家の屋上であったらしい。果たして大勢が集まっていたのだろうか。それが理由なのかどうかは分からないが、ユテコという名の青年が窓の縁に腰を掛けていたという。時間も時間なので、パウロの話を聞いているうちに、彼はうとうとし始めてしまったそうだ。せっかくパウロの話を実際に聞くことができるのに、何というもったいないことなのだろうと思ってしまうのだが、それはテオピロがパウロにあったことがないからそう思えるだけなのかもしれない。青年にしてみれば、もう床についてる時間のはずなのにじっとして人の話を聞いているものだから、眠くなって当然であろう。たとえパウロが素晴らしいことを語っていたにせよ、眠気にはなかなか逆らえないに違いない。思えば、弟子たちも主であるキリストが必死になって祈っている最中に居眠りをしてしまったくらいであるから、この青年を責めることはできまい。

さて運が悪い…いや、彼の座っていた場所が悪かった。窓辺なものだから、眠りながら前後に揺れている彼の体を支えるものは何もなかった。そしてとうとう彼は三階下の地面に落っこちてしまった。慌てて何人かが下まで様子を見に行ったが、残念ながら青年は息絶えていたという。高さが高さなので無理もない。騒ぎに気付いたパウロも下りて行き、倒れている青年を抱き上げて言った。「心配はいりません。まだ生きています。」

そして確かにパウロが言ったとおりになった。人々は生き返った青年を見て安心したことだろう。

パウロはどうしたかというと、今起こったことについて話すわけでもなく、また上に戻って人々と明け方まで語ったという。

それにしてもパウロが一人の青年を死からよみがえらせたわりには、随分と冷静であった。普通の人なら大騒ぎするに違いない。もしかしたら、パウロはこれまでにも人が生き返るのを幾度も見てきたのかも知れないし、見ただけではなく関わってきたのかもしれない。そうだとしても不思議ではあるまい。それで神にとっては人を生き返らせることは、何も難しいことではないことを知っていたのかもしれない。

神は人間の理解を超えた力を持っておられるということが、パウロには当然のことだったのかもしれない。あり得ないことを現実にする、それが神の力なのだろう。