テオピロへ 38

パウロはエルサレムへ戻ることにした。彼は五旬節までにはエルサレムに到着したいと急いでいたという。彼はエペソに立ち寄ることはしなかったが、エペソにある教会の指導者たちに会いたいと思い、人を送って彼らを呼び寄せた。

全員が集まったところで、パウロは彼らに励ましの言葉を与えた。

これまでルカの手紙を読むことで、パウロがどのようなことを人々に語ってきたか、テオピロは大体のことが分かっていたが、パウロが指導者たちに送った言葉は、テオピロに強い印象を与えた。テオピロは二度三度と、パウロの言葉を繰り返し読んでみた。

「…私は謙遜の限りを尽くし、涙をもって、またユダヤ人の陰謀によりわが身にふりかかる数々の試練の中で、主に仕えました…」

パウロはユダヤ人たちから迫害を受ける中でも、躊躇うことなく神のことばを伝え続けた。

「…益になることは、少しもためらわず、あなたがたに知らせました。人々の前でも、家々でも、あなたがたを教え…」

彼はひそかに人目をはばかって神のことばを伝えたわけではなかった。会堂や広場に行って、大勢の人々に神のことばを伝えたのだった。

「…ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです…」

彼はユダヤ人であろうが異邦人であろうが、分け隔てなく神のことばを伝えた。時には異邦人の集まる場所に出向いて、彼らと議論することさえあった。異邦人とはなるべく関わりを持たないことを是としたユダヤ人の一人であったが、彼は古い慣習にとらわれることはなかったのだ。

「…私は、人の金銀や衣服をむさぼったことはありません…」

彼はこの世の利益を求めることもなければ、他人のものを羨むこともなかった。

「…この両手は、私の必要のためにも、私とともにいる人たちのためにも、働いて来ました…」

彼は楽をしようとはしなかった。必要なものがあるのなら、他人の善意に頼るばかりではなく、自ら汗して働き日々の糧を得ていた。

「…労苦して弱い者を助けなければならないこと…」

また彼は自らのためだけに苦労をしたわけではなかった。彼は時として人のため、特に弱い立場にある人々を助けるために自らが働くことがあったのだろう。

なぜパウロのこれらの言葉がテオピロの心に響いたのだろうか。もしかしたらパウロの言葉が信仰者の理想の姿をあらわしているように思えたからかもしれない。もっともテオピロがパウロの言うような生き方をしてきたかというと、そうでもない。だからといって、テオピロは自分の信仰が不足しているとも思えなかった。信仰があるからこそ、このようなことを自信を持って言うことができるパウロが羨ましくさえ思えるのだろう。もちろんパウロの言葉にはおごったところが何も見られなかった。それがまた魅力に思えたのかもしれない。彼の様子を見ていると、信仰者として生きるということは、ただ神を信じて、キリストを信じて日々を過ごすというのではなく、神のために生き、人のために生きるという行動を伴うものなのかもしれないと思えた。

またパウロは再びエペソへやってくることはないと気付いていたようだ。もとよりエルサレムへ行くことで自身の身に何が起こるか、まったく予想ができないということも覚悟のうえだった。ただ聖霊が彼に知らせたことには、苦難が彼を待っているということであった。話を終えたパウロは指導者たちと共に祈ったそうだ。不安と寂しさに圧倒されていただろうが、最後はすべてを神に委ねるということを忘れてはならないということだろう。

しかしパウロの言葉で何よりも一番テオピロの心に残ったのは、この言葉だった。

「私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」