テオピロへ 40

パウロは人々の忠告に耳を傾けることはしたが、彼らの声に従うことはなかった。彼は神に示されたように、聖霊に導かれるままに旅を続け、エルサレムへ到着した。結局パウロと共に旅をしてきたルカや他の信徒たちも一緒にエルサレムにやってきた。パウロの身が危険に晒されるのであれば、彼らも巻き添えになる可能性も否定はできなかっただろう。果たして彼らがそこまで考えたのかどうかは分からない。しかし、彼らは途中でパウロを見捨てるでもなく、エルサレムへやってきたのだ。彼らもまた神に従ったのだろうか。それとも師であるパウロが行くのに、自分だけ逃げ出すというのも情けなく思い、やむなく従ったのだろうか。今度ルカに会うことがあったら、直接聞いてみようかとテオピロは考えた。

エルサレムの信徒たちはパウロを喜んで迎えた。彼は主だった弟子たちに会うと、それまでのことを伝えた。彼らは共に喜び、神に感謝をした。。

ところがパウロを陥れようと彼をつけ狙っていたアジヤ地方のユダヤ人たちも、偶然なのか意図してなのかは分からないが、同じ時にエルサレムにいたという。彼らは宮の中でパウロが人と一緒なのを見ると、声を上げて言った。「イスラエルの皆さん。この男は、皆さんと、律法と、宮に逆らうことを、あらゆるところで人々に教えている者です。しかも、ギリシヤ人を宮の中に連れ込んで、神聖な場所けがしています!」

彼らはようやくパウロの弱みを掴んだと喜んだことだろう。ところが、これは彼らの勘違いでしかなかった。パウロが町の中でギリシヤ人と一緒にいるのを目撃した彼らは、パウロが異国人を宮に連れてきたと思い込んだのだった。

そんなわけで、パウロを捕らえようと人々が殺到したために、宮は大騒ぎになった。群衆はパウロを宮の外に引きずり出したので、今度は町中が大混乱となった。報告を受けたローマ軍司令官は部下の兵士を連れて駆けつけ、ひとまずパウロを捕らえることで、事態の収拾を図った。司令官はパウロが何者であるか、何をしたのかと集まった人々に聞いたが、群衆が好き勝手に話すものだから、何がどうしたのか全然分からなかったという。群衆が口々に、パウロを殺せと叫んでいる様子を見て、パウロが群衆に殺されてしまうのを恐れた司令官は、兵士に彼を担がせ兵舎に連れて行くことにした。

パウロは群衆から少し離されると、人々に話しても良いか司令官に尋ねた。彼が、かつて暴動を企てたエジプト人でないことを知ると、司令官はパウロに許可を与えた。パウロがローマの兵士に守られている姿を見て、群衆はひとまず冷静さを取り戻したのか、騒ぎは一旦収まった。人々が静まりかえった様子を見て、パウロは群衆に向かって、自分の身に起こったことを語り始めた。ところが、神が彼を異邦人に遣わしたと彼が説明すると、前よりも激しく群衆は騒ぎ始めた。

騒ぎの原因を突き止めたいと考えた司令官は、ユダヤ人の議会を招集し、パウロを連れて行った。ところが、パウロが話をすると、彼らの意見はパウロに同意するものと、反対するものとに二分してしまった。文字通り彼らの間で真っ二つに裂かれてしまいそうになったので、司令官は彼を再び救い出した。

ところが狂信的なユダヤ人が集まり策略を巡らし、パウロの暗殺を企てた。さて、その話が司令官に届いたので、彼はローマ総督に手紙を書き、その夜のうちに護衛をつけて、パウロを総督のもとの送り出したのだった。

イエスが捕らえられた時、エルサレムを治めていたピラトは群衆を喜ばせようと、自らの意志に反して、イエスをユダヤ人たちに引き渡し、結果として彼を死なせてしまった。ところがこの司令官は、群衆がいかに騒ごうとも心を惑わされなかった。彼が神を恐れていたのかどうかは分からない。彼は職務に忠実であろうとだけ考えていたのかもしれない。もしくは上司である総督に咎められることを恐れていただけなのかもしれない。しかし確かなことは、彼は群衆の声に惑わされることなく、パウロを救ったのだ。

それにしても、パウロを救い出すために同胞のユダヤ人ではなく、彼らにとっては忌み嫌うべき異国人のローマ人が働いたとは、意味深いことだろう。神は神を恐れる者を救うために、時に意外な人々と意外な方法を用いられることもあるのだ。