テオピロへ 43

パウロが話し終えると、アグリッパ王はこう言った。

「君はほんの少しの時間に話したわずかな言葉で私をキリスト者にしようというのか。」

他のユダヤ人指導者たちとは異なり、王はパウロに対する憎しみも敵意もなかったようだ。彼は祭司や律法家のように、伝統や慣習に捕らわれていなかったのかもしれないし、またパウロに対してひがみというか脅威というか、自らの立場を脅かす何か見つけなかったのかもしれない。しかしだからといって、王がパウロの言うことを認めるかといえば、そうでもなかった。どちらかと言えば、彼はただ無関心だったようだ。

パウロはそれでも王や総督、そしてその場に集まっていた人々に訴えて言った。

「私がどれほど話そうか、それは問題ではありません。私が神に願っていることは、皆さんが私のようになってくれることです。もちろん、私が囚人であるということを除きますが。」

王とパウロのやりとりが終わると、人々は席を立ち、去って行った。ユダヤ人たちがパウロを殺せとわめき立てたような騒ぎは、そこでは起きなかった。人々はパウロというユダヤ人や、彼の話したことについて互いに話し合いながら、帰って行ったようだ。

パウロの話を聞いた後、総督も王も、そしてそこに集まった人々の多くも、同じ結論に辿り着いたようだった。すなわちパウロに死罪に当たるような罪を見出すことも出来なければ、投獄されるような理由さえもないということだった。

ユダヤ人であろうが異邦人であろうが、老若男女も問わなければ、貴賤貧富も問わずに、ただひたすらに神のことばを伝えるという役目をパウロは忘れていなかった。そして人々はパウロの話に黙って耳を傾けるのだった…一部のユダヤ人を除いては。

パウロの歩んできた道は、安穏とはほど遠いものであった。迫害を受けたこともあれば、投獄されたこともあった。命を狙われることも度々あったし、現にエルサレムを離れて二年以上の月日が過ぎ去っても、それでも彼の命を狙う人々がいるというのが現実であった。さらに、ある程度の自由は認められていても、総督の囚人であるという事実に変わりはなかった。

カイザリヤに送られた後の彼の置かれた状況は、少なくとも身の安全は保証され、友人たちと会う自由が認められたものの、人々が羨むようなものではなかった。しかし彼は与えられた機会を最大限に活用して、自らに科せられた使命を果たしたのだった。彼はユダヤの王、ローマ総督、ローマの高官や著名人に対して神のことばを伝えたのだ。思えば、エルサレムでユダヤ人たちに捕まらなければ、このような機会もなかったのだろう。

パウロを応援して然るべき同胞のユダヤ人祭司たちや、エルサレムに住むユダヤ人たちからは目の敵にされていた彼は、意外にも外国に居留していたユダヤ人やその土地に住む人々に受け入れられたのだ。そして彼の伝える神のことばは、人々の耳に届いたのだった。町角や他の信仰者の家や会堂や広場で語られる神のことばは市井の人々に聞かれることがほとんどだっただろうが、今はこうして地位のある人々にも伝えられたのだった。もはやパウロのことを知らぬ人は地中海沿岸の都や町ではいなかったかもしれない。

ただ神のことばを聞いた人々がすべて、キリストを受け入れて、罪を悔い改め、神に立ち返ったかと言えば、そうでもなかった。しかし、それは仕方のないことであろう。信仰は人に言われて持つものではないからだ。テオピロも自らの意志でキリストを信じたのであって、なにも友人のルカに言われたからではない。

アグリッパ王は、わずか半日神のことばを聞いただけではキリスト者にはなれないと、言ったが、神のことばを聞くのであれば、たとえ半日でも十分なのだろう。神のことばをどれだけ聞くかではなく、神のことばを聞いて、それを受け入れるかどうかということが肝心なのだろう。極端かもしれないが、たった一度だけでも聞けば、それで足りるのかもしれない。

思えば神のことばを聞いておきながら、それを聞き流してしまうとは、このうえなくもったいないことに違いない。