善悪の知識の木Ⅱ

エデンの園の住人は、神の戒めを忠実に守って「善悪の知識の木」の実を食べなかったというと、そんなことはなかった。もし、彼らが神の言うことを守ったのであれば、今私がこれを書くこともなかっただろう。

ところで、園の住人は、男がひとり、女がひとりであった。もしかしたら、二人の子供がいたかもしれないし、いなかったかもしれない。さすがにそこまでは聖書に書かれていないからなんとも言えないが、書かれていないと言うことは、真剣に悩むほど重要なことではないということだろう。また園には、数多くの動物が住んでいたという。その中には蛇もいたが、この蛇がくせ者であったらしい。蛇について、聖書にはこう書かれている。「蛇が一番狡猾であった」(創世記3章1節)ある日のこと、この蛇が女に聞いた。

「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」(創世記3章1節)

「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。」(創世記3章2~3節)

確かに、神の戒めは彼女が言った通りである。彼女は何をしてはいけないかを知っていたし、その結果がどうなるのかも知っていた。そんな彼女に蛇は、こう言った。「あなたがたは決して死にません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」(創世記3章4~5節)

蛇のずる賢いところは、嘘と真実をごちゃ混ぜにして彼女に話し掛けていることだろう。神は、戒めを破れば死ぬと言っているが、蛇はそんなことはないとまるで反対のことを言っている。ところが、その実を食べることで、善と悪を知ることができるというのは、神も言っていることで偽りはない。神はその実を食べると、善悪の知識を得るが、死ぬことになると園の住人に戒めに従わないことの結果を教えている。ところが蛇は、その実を食べると善悪を知るだけで、死ぬことはないと、聞く人にとっては都合の良いことを言っている。なるほど蛇が狡猾と言われる理由も納得できよう。狸や狐の類も人を騙すと言われているが、蛇に比べたらカワイイものであろう。

さて、蛇にそう言われた後に彼女が、善悪の知識の木に実る果実を見てみると、なんともその実が今まで以上においしそうに見えたのである。まるでエデンの園テレビショッピング、今の時代ならネットショッピングである。眺めてその味をあれこれ想像してみるだけにして、その隣の「いのちの木」に実る果実を食べて満足しておけば良かったものを、ついつい手を出してしまったのである。そればかりか、一緒にいた夫にも渡したのである。男もやめておけば良いものを、一緒に食べてしまったのである。妻に何か言われると逆らえない男の性か、人の持っているものが欲しくなるのが男の性か…。いずれにせよ、この二人は神の戒め、たったひとつしかなかった戒めを破ったのである。

後になって神に見つかり、なぜ食べてはならないと言われていた実を食べたのかと問われたとき、男は妻に勧められたからと言い訳をし、女は女で蛇がそそのかしたからと言い訳をした。二人は、なんとかして言い逃れようとするばかりで、素直に自らの非を認めて謝ろうとはしなかった。そもそもの原因を作った蛇が悪いとしても、この二人も神の言いつけを守らなかったことに変わりはない。この二人の犯した過ちは二つある。まず、食べてはならないと言われた善悪の知識の木の実を食べたことと、そしてもうひとつは、神に聞かれたときに、自分の非を認めなかったことであろう。

その結果、二人は園から追放されたばかりか、「いのちの木」の実を食べることができなくなり、人は必ず死ぬように定められるようになった。この時から、罪と死が人の世に入り、人と切り離すことのできないものとなったのである。例外はない。