憎しみと罪

神がアベルの捧げ物を好まれたことを知るや、カインは怒りを覚えた。さて、カインは何に対して怒りを覚えたのであろうか。ここにはこれ以上のことは書かれていないが、いろいろと想像することはできよう。

もしかしたら、カインは兄である自分ではなく、弟であるアベルが神に認められたという事実に対して腹を立てたのかもしれない。さもなければ、弟に目を向けた神に対して怒ったのかもしれない。それとも、神の思いを捉えた弟に対して嫉妬のような怒りを覚えたのかもしれない。いや、どれというわけでもなく、すべてが入り混じって怒りとなったのかもしれない。いずれにせよ、最後にカインの怒りは弟アベルに向けられてしまった。兄にとって弟の存在が疎ましくなったのである。アベルさえいなければ、自分が神に認められたかもしれない…そんな思いがカインの心をよぎったのかもしれない。そのようなことを考えれば考えるほどに、彼の弟に対する憎しみ、妬みは増すばかりであったろう。

ある日、カインはアベルを誘って言った。「野に行こうではないか。」(創世記4章8節)

兄の殺気に気付かなかったのか、それとも、今までとは違う何かを感じたことは感じたが、兄を信じて疑わなかったのか…とにかくアベルは誘われるままに兄と一緒に野に出掛けていった。兄弟が二人きりになった時、とうとう兄カインは弟アベルに襲いかかり、彼を殺してしまったのである。

誰もこれに気付くことはないとカインは思ったのかもしれない。しかし、神の目をごまかすことはできなかったようだ。カインが一人で野から戻ってきた時、神は彼にこう聞いた。「あなたの弟アベルは、どこにいるのか。」(創世記4章9節)

弟殺しの罪を負いたくなかったカインはなんとかしてそれを隠そうと考えたかもしれない。彼は神に答えて言った。「知りません。私は、自分の弟の番人なのでしょうか。」(創世記4章9節)

弟がどこでどうしようとも、兄である自分には関係のないことだと、言いたかったのだろう。ところが、彼が何と答えようとも、すべてを見通しておられる神は彼に言った。「あなたは、いったいなんということをしたのか。聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。」(創世記4章10節)

このように言われては、もはや白を切ることも口答えすることもできず、カインは自分の犯した罪を認めずにはいられなかった。「私の咎は、大きすぎて、にないきれません。」(創世記4章13節)

思えばカインは過ちばかりを起こしている男である。だからと言って、彼が憎いとも思えないし、また哀れとも思えない。彼のことを指さして非難する資格が私にあるとも思えない。彼の失敗の一つは、前回も書いたが、神へ作物を捧げたが、心を神に捧げなかったことだろう。そして、そのために神に認められずに怒ったことも彼の過ちとして数えることができよう。そしてその怒りをアベルへ向け、彼を殺めてしまったことも大きな過ちである。そして、それを隠そうとしたことも。ところで、このような過ちを何一つ犯したことがないと言える人は果たしているのだろうか。もっとも人を殺したという人はいないだろうが、人を憎むことは殺すことと同じであると聖書は言うから、人を恨むことはカインがアベルに対して犯した罪と同じことと言えよう。そもそも、恨み嫉み憎しみから生じた殺しではないか。そう考えてみると、少なくとも私に関して言えば、カインの犯した過ちの全てを私も今までの人生の中で犯したと言えよう。

さて、神はカインを罪の結果として、殺すこともできただろうがそうはしなかった。カインは最後は自らの罪深さを認めたからだろう。神は誰も彼を殺すことがないようにと彼に一つのしるしを与え、その地を去らせた。やがて彼はエデンの東の方に住むようになった。カインの物語はこれで終わり、そのしるしが何かは分からない。

神が罪を認めたカインを生かしておいたように、今も神は自らの罪を悔い改める者を救われる。そして、神が救われた者に与えるしるしは、キリストの十字架なのである。