大洪水Ⅰ

神が天地を創造し、最初の人としてアダムをこの地上に誕生させてから(私の数え方が間違っていなければ…)一〇五六年経った頃、ノアという子が生まれた。それからさらに五百年経った頃に、ノアに三人の子供が生まれた。つまり、世界ができてから十五世紀近くも経った頃のことだ。この時には地球の人口も相当増えていたことだろう。果たしてどれくらいまで増えたかは分からないが、数百とか数千とかいった、そんなレベルではなかったろう。ちなみにねずみ算をすると、正月に二匹のねずみが十二匹の子ねずみを産むと、師走には276億8257万4402匹まで増えるという計算になる。さて、アダムとエバが何人の子を産んだか分からないが、これに近しいものはあるだろう。前にも言ったように、アダムもその子孫もとんでもなく長生きであった。一生の間にどれほど家族が増えたかとは、把握できなかったかもしれない。

この世に人が増えたのをご覧になった神は、人は命に限りがある存在であるがため神の霊が人のうちに留まらないことを知り、人の齢を百二十年と定めた。神の霊が人のうちに留まらないとは、何を意味するのだろうか。私が思うに、神が人の心に留まろうと思ったとしても、そこには神の居場所がなかったということなのかもしれない。すなわち、人々の心が神に向いておらず、自分自身に向いていたのかもしれない。

さて、人が増えてくるとエノクのように神の前に正しい者もいただろうが、悪を行う者、神の前に正しくない者も多くいたことだろう。思えば、アダムやエバ、そしてのその息子カインも神の言いつけを守らなかったり、嫉妬から弟を殺したりと、お世辞にも善人とは言えない者であった。そのような彼らの子孫の多くは、同じ道を歩んだことだろう。神はそのような世界をご覧になって、心を痛めた。そして独り言のようにこう言った。「わたしが創造した人を地の面から消し去ろう。人をはじめ、家畜やはうもの、空の鳥に至るまで。わたしは、これらを造ったことを残念に思うからだ。」(創世記6章7節)

神は自らが創造した世界が悪意で満ちていることを知ると、それを悲しく思った。それもそうだろう。神が創造された世界は、初めは良いものであった。「そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。」(創世記1章31節)と、聖書には書かれている。そのような良いものが、わずか十五世紀の間にすっかり変わってしまったのだ。エデンの園に住んでいた頃は、善悪さえも知らずに過ごしてきたアダムの子孫は、今や常に悪いことを考えて過ごすようになってしまった。たとえ全知全能の神でさえ、これを見て無念を覚えないことはあるまい。神とはいえ、感情は持っているだろう。

ところが、そのような世界においても、神の目に適う人がいた。それが、ノアである。ある時、神はノアにこう伝えた。「すべての肉なるものの終わりが、わたしの前に来ている。地は、彼らのゆえに、暴虐で満ちているからだ。…わたしは今、いのちの息あるすべての肉なるものを、天の下から滅ぼすために、地上の大水、大洪水を起こそうとしている。地上のすべてのものは死に絶えなければならない。」(創世記6章13,17節)

これは神からの警告であった。いや、警告であれば、過ちを犯している人々に伝えたことであろう。しかし、神がノアにこれを伝えているということは、警告というよりも、むしろ予告という意味合いが濃いように思える。おそらく神はすでに人々を大洪水で滅ぼすことに決めていたのだろう。そこで、神はノアとその家族を救うために、彼にこう命じた。「あなたは自分のために、ゴフェルの木の箱舟を造りなさい。…わたしは、あなたと契約を結ぼう。あなたは、あなたの息子たち、あなたの妻、それにあなたの息子たちの妻といっしょに箱舟にはいりなさい。」(創世記6章14,18節)

神はノアとその家族だけは救いたかったのだ。さて、ノアは神の前の正しかったが、彼の妻や、彼の息子たちとその妻はどうだったのだろうか。神が、ノアの息子に現れなかったということを考えると、何となく想像はできよう。では、なぜ家族までも救おうとしたのか、それは人が一人では生きていけないことを神は知っていたからだろう。正しいノアのため、彼の家族は救われたのだった。