神に導かれて

エジプトで妻サライのおかげで財産を築いたアブラムたちは、エジプトを追放された後ネゲブと呼ばれていた土地にたどり着いた。どうやってかは分からないが、神が彼らをここまで導いたのだろう。そもそも、神に示されて旅に出た彼らを今になって神が見捨てるとも思えない。やはり神は彼らを見守っていたのだろう。そのような彼らであるから、神の庇護のもとにあってたいした苦労も悩みもなく過ごしていたのかと言えば…そんなうまい話ではなかったようだ。

さて、すでに先に人が住んでいる土地に、召使いやら家畜やらで膨れあがった大所帯が越してきたものだから、人口密度が一気に高くなったようである。人が集まれば、いくら神に導かれたとはいえ、互いの間で諍いが起こるのも時間の問題というものだ。そしてとうとうある時、アブラムの牧者たちと彼のおいのロトの牧者たちとの間でひと悶着が起きてしまった。

「おい、そこはアブラム様の土地だぞ。勝手に入り込んで、羊に草を食べさせちゃ困るんだよ。こっちだって羊に食わせなきゃいけないんだから。さっさと出て行ってくれ。」

「何寝ぼけたこと言ってんだい。ここは、ロト様の土地だよ。人の土地に来て、偉そうなこと言ってんじゃないよ。」

「ふざけたこと言うな!おまえらのロトなんてそもそもおれらの主人について来ただけじゃないか!」

やがて激昂した両者は石を投げたり、杖で相手の家畜を追い払ったりと大騒ぎになったかもしれない。なんとか両者の主人が仲裁に入ったので、その場は収まったのだが、どうにもアブラムとロトの人々の間には穏やかでない空気が漂うようになった。

…というのは、聖書には書かれていないが、それほど的を外していることもないだろう。刃傷沙汰には至らないまでも、互いの間には些細なことでいがみ合うことが幾度かあったに違いない。もしそうでなければ、互いに別れようなどとは思わなかっただろう。一度や二度ならまだしも和解することはできただろうが、度々問題が起こっていれば、互いに別の道を進むことを余儀なくされたに違いない。

結局ロトは土地が肥沃なヨルダンの低地に移り住み、アブラムはカナンの地へと移り住んだ。園の地、神が再びアブラムの元に現れて彼に言った。「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。…立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。」(創世記13章14~15,17節)

こうして、アブラムの旅は終わった。

かつてアブラムたちが旅の途中でカナンの地に立ち寄った時、神はアブラムにこう約束した。「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。」(創世記12章7節)その時の約束がようやく成就したのである。

神がアブラムに現れたように、我々の元にやってくることは残念ながら滅多にない。(可能性がある限りは「絶対にない」と言い切れないので…「滅多にない」と言っておこう。)だからといって、神が我々のことを見守ってもいないというわけでもなければ、我々を導くこともなくなったというわけでもない。神は我々のことを今も目に留め、その道を整えて下さることに変わりはない。うっかりすると、神が守っているから問題を抱えることはないと勘違いしてしまいそうになることもあろう。しかし、神に導かれ新天地へとやってきたアブラムたちが仲間内での諍いという悩みを抱えていたように、我々の進む道には大なり小なり何らかの妨げがあるのだ。人は困難に出くわすと、とうとう神に見捨てられたのかと感じてしまうこともあろうが、神はそれでも我々と共にいるのだ。どこだったかは思い出せないが、聖書はこのようにも言っていた。神は、我々に負いきれない重荷を負わせることはないと。神に見捨てられたと嘆くのではなく、担うことのできる重荷から逃げ出すのでもなく、そこに重荷があることを認め、それを受け入れていくなかで、神の約束というのが成就されるのかもしれない。