人の道を正す神

どうにかソドムの住民たちと運命を共にすることなく神の怒りから逃れることができたロトであったが、逃げる途中に彼の妻は塩の柱にされてしまったり、逃げた先では娘たちに酒を飲まされて泥酔させられた挙げ句、犯されてしまうといった具合で、あまり恵まれた後半生を送ったようには思えない。ロトの物語はこれで終わってしまう。

さて、神がソドムとゴモラを滅ぼした時、アブラハムは旅人を見送った丘の上に立ってその様子を見ていた。低地地方が火で覆われ煙が絶えることなく立ち上っていた。ひょっとしたら彼はその様子を見て恐ろしくなったのかもしれない。彼はまた別の地方に移ることにしたのだった。さすがに火の海の近くに住みたいとは思わなかったのだろう。

彼と彼の家族、そして彼の元で働いていた人々はネゲブの地方にあるゲラルという街に滞在していた。ところでゲラルの王アビメレクはアブラハムの妻サラを見初めたらしい。年取ったアブラハムの、これまた年取った妻に目を留めるとは、アビメレクも物好きである。変わった趣味をしているというか何というか。年増好みにも程があるような気はするが、まぁ、人のことだからどうでもいいといえばどうでもいい。アブラハムもサラのことを自分の妻と言わずに、「これは私の妹です。」(創世記20章2節)と言ったものだから、王は使いをやってサラを自分の宮殿へ呼び寄せたという。それにしても、前にどこかで聞いたことのある話であるが…。

ある夜のこと、神がアビメレクの夢の中にでてきてこう言った。「あなたが召し入れた女のために、あなたは死ななければならない。あの女は夫のある身である。」(創世記20章3節)

アビメレクにとっては文字通り寝耳に水である。彼はサラが人妻であるとは露程も知らなかったのであるから。彼はアブラハムの言葉を額面通りに受け取っただけである。まだサラに手を出していなかったので、彼は夢の中で一生懸命に弁解した。「彼は私に、『これは私の妹だ。』と言ったではありませんか。そして、彼女自身も『これは私の兄だ。』と言ったのです。私は正しい心と汚れない手で、このことをしたのです。」(創世記20章5節)

アビメレクがどこからどこまでも純真な人間であったとは思わないが、意図して人妻を奪おうと考えるような悪者であるという印象も受けない。確かに彼は自らの意志で悪事を行おうなどとは考えていなかった。であるにも関わらず神から罰を下されることになるとは、如何にも不公平な気がする。彼自身もそう感じたであろうし、私もアビメレクに同情を覚えてしまう。が、落ち着いて考えてみると、神はアビメレクに対して夢の中で警告を与えただけなのである。有無を言わさずにいきなり、彼のことを打ち殺してしまったわけではない。そう考えてみると神は寛大であるとも言えよう。「そうだ。あなたが正しい心でこの事をしたのを、わたし自身よく知っていた。」(創世記20章6節)

だが実際神はアビメレクの心に悪意がないことを知っていた。それだから彼がアブラハムの妻に手を出す前に、それを防ごうとしたのだった。「それでわたしも、あなたがわたしに罪を犯さないようにしたのだ。それゆえ、わたしは、あなたが彼女に触れることを許さなかったのだ。」(同)

神の目から見た場合、たとえアビメレクが意図的ではなく知らず知らずのうちに過ちを犯したとしても、それに無かったこととして見逃すことはできないのである。無意識であったとしても罪は所詮罪なのである。間違ったことは間違ったことであり、神に言い訳は通用しないし、神が大目に見るということもないのである。厳しいと言えば厳しいかもしれないが、公平であることに違いはない。しかし、神はアビメレクが超えてはならない一線を越える手前で、ちょっと手荒いというか恐怖心を煽るような方法であったが、彼を思い留まらせたのであった。

これもまた神の姿なのかもしれない。罪を罰するだけでもなく、罪人を赦すだけでもない。神は人が道を踏み外すことのないように人を導いて下さるのである。