絶えない不安

ヤコブは故郷に向って旅を続けた。しかし、彼にはもうひとつ心配なことがあった。それは、彼の兄エサウのことだった。彼は以前、エサウであると偽り目の不自由だった父親から祝福を受けたことで、長男であるにも関わらず祝福を得られなかった兄に憎まれることとなったからだった。まず自身がエサウのところに行く前に、ヤコブは先に使者を遣わすことにした。彼は兄の好意を得たいと考えていたが、どうやら兄の動静を知りたいという思いもあったのかもしれない。そして彼が恐れていた通り、使者のもたらした知らせは良いものではなかった。使者はヤコブに言った。「エサウが四百人の手下を引き連れてご主人様をお迎えにあがろうとしておられます!」

これを聞いてヤコブはこれからどのような災難が降りかかるだろうかと、不安と恐れを感じたことだろう。まずは自分の財産をすべて失うことがないように、群れを半分にわけ、そのうち一方をエサウたちに見つからないように隠してしまった。そして、ヤコブは神に祈った。「どうか私の兄の手から私を救い出してください。彼と彼の手の者が、私や私の家族を殺すことがないようにしてください。 あなたは前に『わたしは必ずあなたをしあわせにし、あなたの子孫を多くて数えきれない海の砂のようにする。』と仰いました。どうかその通りになるようにしてください。」

そして手元に残された群れの中から家畜を何頭か選ぶと、エサウへの贈り物として自分たちより先に送り出した。少しでも彼の怒りをなだめようと考えたのである。

さて、贈り物を携えた集団を順繰りに送り出すと、ヤコブは休むことにした。神にすべてを委ね、自身もできる限りのことをした後なので、彼の心はひとまず静まったことだろう。

しかし、夜の闇の静けさの中で色々と考えていたら不安が沸いてきたのだろう。そして寝込みを襲われてしまったら…と考えたのかもしれない。心配になった彼はまだ暗いうちに家族を出発させた。ところが後に残った彼のところに、一人の人がやってきた。何が原因でどちらが先に手を出したのかは何も書いていないから分からないが、ヤコブとその人は取っ組み合いを始めてしまった。もしかしたら、エサウの手先がやってきたと思い込んでしまい、彼が先にその人に殴りかかったのかもしれない。暗い夜のことなのであり得ないことでもなかろう。ところが、なかなか勝負がつかないままやがて夜が明けようとしてきた。その人はヤコブに勝てそうにないことを悟ると、彼の腿の付け根に触れ、彼の足の自由が利かないようにしてしまった。その人はヤコブにこう言った。「もうすぐ夜が明けてしまう。私を行かせてくれないか。」

「まず私を祝福してください。そうすればどこへ行っても構いません。」

「あなたの名は何というのか。」

「私の名はヤコブです。」

「あなたの名は、もはや『踵をつかむもの(ヤコブ)』とは呼ばれない。これからは『神と戦うもの(イスラエル)』と呼ばれよう。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。」

これを聞いて、ヤコブは喧嘩の相手が神であることを悟ったのかもしれない。そして神はその場においてヤコブに祝福を与えた。

ヤコブは神と面と向かって争ったにも関わらず、命が助けられただけでなく、祝福まで与えられたことを感謝に思い、その場所を『神の御顔(ペヌエル)』と呼ぶことにした。もっとも神にはずされた腿の付け根は癒されることはなく、彼はその後も片方の足が不自由なままで過ごさなければならなくなってしまった。

神は今までに幾度も人の前に姿を現し、言葉を交えたことがあったが、直接に人とぶつかり合うのは今回が初めてである。そもそも、なぜ神はこのようにしてヤコブのところに現れたのだろうかと疑問に思わずにいられないが、さすがにそこまでは聖書に書かれていない。おそらく創世記を書いた人物もその理由が分からなかったからなのだろう。ただ神がヤコブに接したという事実だけを残したかったのかもしれない。この時のヤコブは絶え間なくやってくる不安に悩まされていただろう。神はそのようなヤコブに励ましを与えるために直接的な行動に出たのかもしれない。神は人の心の重荷を見過ごすことはない。