一難去って、また一難

ヨセフはついていなかった。でも、彼はついていたのかもしれない。

妙な夢のことで兄たちの恨みを買ってしまったヨセフは、それがために殺されそうになったが、なんとか命だけは助かった。そのかわり、奴隷として異国人に売られてしまったのだ。まったくついていない。父親の寵愛を存分に受けて、何ひとつ不自由を感じることなく過ごしていたのが、ある日突然何の前触れもなしに縛り上げられて見ず知らずの他人に引き渡されてしまったのである。それも彼自身の兄たちの手によって。これを不幸と呼ばずしてなんと呼ぶか。

神のご計画の一部だろうか。確かに聖書が目の前にある私たちにしてみれば、そう言うこともできよう。しかし、当の本人や、愛しい息子が獣に殺されたと思い込んでしまった父親にとっては、単純に悲劇であったろう。

ところが不幸中の幸いとでも言うべきか、ヨセフを奴隷として買い取ったのは、エジプト王に仕えるポティファルという名の高官であった。ヨセフはそこで自分の境遇をどう感じただろうか。悲観しただろうか。もしかしたら、初めの頃は故郷を懐かしんだかもしれない。父親が恋しく泣いたこともあったかもしれない。自分をこのような目に遭わせた兄たちを恨んだかもしれない。しかし、彼はいつまでもそのような悲観的な見方をしていたわけでもないようだ。彼はエジプトの地において奴隷となっても、主人に対して忠実に仕えた。おそらく彼の性格が真面目であったのだろう。彼が真面目だから父親から大事にされたのか、それとも父親が彼を大事にしたから彼がこのような性格になったのかは分からない。要するに、兄たちの性格とは異なったようだ。その実直さゆえか、彼は主人の信頼を勝ち得ることとなった。

しかし、実直さ、真面目さだけではないようだ。実は神がヨセフと共にいたので、彼を導き、彼のなすことが実を結ぶようにして下さったのである。

おかげでヨセフの地位は単なる奴隷、召使、使用人から、高官の側近へと身分が変わっていった。やがて彼は主人の家や財産のすべてを管理するようになった。

そう考えてみると、ヨセフはついていたとも言えよう。運は彼を見捨てていなかったということか…いやいや、神が彼を見捨てていなかったからだ。

ところが、ヨセフの生活が安定したと思ったら、新たな災難が降りかかってきた。

ヨセフは運に見放されることの多い人である。運に見放されても神が見放していなければ、良いではないかと、言えないこともないだろうが、やはり運が向かないというのは…嬉しいものではないだろう。少なくとも私ならそう思うに違いない。

さて、ヨセフはなかなか良い男だったらしい。同じ屋根の下で長いこと一緒にいたのだから起こるべくして起こったという気がしなくもないが、高官の奥さんがヨセフに惚れてしまったらしい。年増好みのする顔だったのだろうか。何度か彼女はヨセフを誘惑しようとしたが、彼はこう言って断った。「ご覧ください。ポティファル様は、家の中のことは何でも、財産さえも私の手に任せて下さいました。実際、この家の中では私の上に立つ者は誰もいませんし、あなたを除いては、私が手を出してはならないものはないのです。それというのも、あなたがご主人の奥さまだからです。どうして、そのような大きな悪事をして、私は神に罪を犯すことができましょうか。」

ところが、彼女は聞く耳を持たなかった。その後も、幾度か彼を誘惑しようとした。ある日、誰も家の中にいなかったので、彼女は力ずくでヨセフと関係を持とうとした。慌てたヨセフは着ていたものをその場に残して逃げ出した。ところがヨセフの態度に腹を立てた彼女は、夫にヨセフの着物を見せて、ヨセフに襲われたと訴えたので、ポティファルはヨセフに対して怒り、彼を捉えさせて獄に投じてしまった。

せっかく運が向いてきたと思ったら、これである。とことん、ついてない。

ついてない、運が悪い、そう思いたくなることはよくあるかもしれないが、しかし神が見捨てたというわけでもない。そう考えると、少しは気が楽になるものであろう。