地上を歩いた神 21

さて、残念なことに、イエスと弟子たちがベタニヤについたとき、すでにラザロは墓の中であった。いくらイエスを信じていたとはいえ、さすがに身内が死んだ後になってからやってこられても、マリヤとマルタの姉妹は兄弟の命についてはすっかり諦め切っていたことだろう。もしかしたら、彼女たちはイエスに失望を覚えたかもしれない。マルタはイエスを迎えに行くと、こう言った。「あぁ、イエス様、もしあなたがここにいてくださったなら、ラザロは死ななかったでしょうに…でも、今でも私は知っております。あなたが神にお求めになることは何でも、神はあなたにお与えになります。」

イエスはマルタに答えていった。「心配はいりません。あなたの兄弟ラザロはよみがえります。」

それを聞いたマルタはイエスの言ったことを確かめるかのように、こう言った。「私は、終わりの日のよみがえりの時に、ラザロがよみがえることを知っています。」

マルタの気持ちはどのようなものだったろうか。結局、重い病で苦しんでいた兄弟を助けるのにイエスは間に合わなかった。ラザロはすでに墓の中で死臭を放っており、イエスが彼はよみがえると言うのを聞いても、それは世の終わりの時の話で、たいした慰めにはならない。やはり、イエスに対してすがる気持ちより、無念な思いの方が勝っていたことだろう。そのようなマルタの気持ちを察したのか、イエスは彼女に言った。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」

「私は、あなたが神の子キリストであることは信じています。」

マルタはイエスの言ったことの一部を信じたのだろうが、イエスを信じる者は死んでも生きるということについては、兄弟の死を経験したばかりの彼女には、とても信じられるようなものではなかったのだろう。当然といえば、当然である。マルタは何の慰めを得ることもなく、沈んだ思いで帰って行った。

さて、戻ってきたマルタに、イエスが呼んでいると告げられたマリヤは、いそいでイエスのところへと向かった。そこにいた人々も、彼女が墓に行くのだろうと思い、彼女について行った。イエスのところへくると、彼女はその場にひれ伏して、言った。「あぁ、主よ、もしあなたがここにいてくださったなら、ラザロは死ななかったでしょうに!」

そして彼女は泣き出した。一緒にいた人々も誘われたかのように一緒になって涙を流した。

この様子を見て、イエス自身も悲しみを感じ、心を動かされ、自らも彼らと一緒になって涙を流すのであった。ところが、ラザロを助けられなかったイエスに対して、失望を覚える者が他にもいたようである。そのような人々の心に気付いたイエスはさらに感情を昂ぶらせながら、ラザロの墓の前までやってきた。イエスは人々に、墓を塞いでいる石を取りのけるようにと命じた。イエスが死体を見ようとしていると思ったのか、マルタはイエスに、もう四日も経っているから臭いと思いますと告げた。

さて、石が取りのけられると、イエスはひとこと祈り、そして墓の中に向かって大声で言った。「ラザロよ。出て来なさい!」

すると埋葬されたままの格好で中からラザロがでてきたのである。ここには人々がどのような反応を見せたのかは書かれていないが、おそらくこのようなものであったろう。まずは、起こりえないことが起こったことへの、驚き。そして、マリヤとマルタにとっては兄弟、人々にとっては友である人の復活への、喜び。そして、どんなに信仰心が薄くても、四日の間も死んでいた人がよみがえったら、イエスの奇跡を認めざるを得ないだろう…すなわち、神の子キリストへの、信仰。

今を生きる我々には、その場にいた人々の感情など到底想像することすらできない。また、理性でこの出来事を理解しようとしても、それはどだい無理な話である。ただ我々にできるのは、死の力さえ覆すことのできる神の力の強さを知ることだけだろう。しかし、それこそが重要なことなのかもしれない。