地上を歩いた神 34

今までイエス・キリストを中心に見てきたが、今回は少しばかり視点を変えてみよう。弟子の一人、イエスに出会うまでは漁師として暮らしていたペテロを見よう。

キリストが兵士たちに捕まりそうになった時、ペテロは剣を抜いて、彼らに抵抗しようとしたことは既に読んだ。また、捕らえられた師の後を追って、祭司の屋敷までやってきたことも既に読んだ。ほとんどの弟子たちが捕縛されまいと早々に逃げ去ったであろうことを考えると、ペテロともうひとり、大祭司の知り合いであった弟子だけが、最後まで忠実にイエスに従ったと言えよう。もっとも、この大祭司の知り合いの弟子は、自ら望んでイエスと一緒にここまでやってきたのかどうかは分からない。大祭司とイエスの両者を知っていたがために、選択の余地がなかったかもしれない。もしかしたら、大祭司の知り合いだから危険を免れると安心していたのかもしれない。しかし、ペテロは大祭司と何の関係もなかった。おかげで屋敷に入ることも許されなかった。そこまでしてイエスの後に従ってきたとは、彼がどれほどイエスのことを慕っていたのかが分かる気がする。

夜の闇に包まれ、人の気配が消えうせた通りを吹き抜ける冷たい風に晒されながら、彼は何を思っていただろうか。門の向こうから松明の明かりが洩れ、人々の話し声が聞こえてくるのを耳にしながら、ペテロは孤独であったろう。門の中に入ることは、彼にとって師に側に近づくことであった。どんなにか中に入ることを願ったことだろう。半刻ほど前には、なんとかして師を守ろうと慣れない手つきで剣を振るったものの、召使マルコスの耳を切り落としただけで、何の功も奏さなかった。イエスはそのまま連れて行かれたのだ。そしてまたしても、勢いに任せて大祭司の屋敷まで来たものの、やはりどうすることもできないでいる自分を見出すのであった。自分の無力さを悔やんだかもしれない。彼は情熱的な人物であったようだ。他の弟子たちのように己の保身を考えることなく、ただひたすらにイエスを想い続け、ここまでやってきたのだ。しかし、熱意だけでは師を守ることもできず、塀の外から師を思うことしかできないでいた。夜が延々と続くかのように思えたことだろう。

力なく門の近くの塀に寄りかかり座り込むと、彼の名を呼ぶ声が門の方から聞こえた。もうひとりの弟子が門から顔を出し、ペテロを呼んでいた。その弟子が門番に口を利いたおかげで、ようやく彼は屋敷の中に入ることができた。二人が門を過ぎるとき、門番の勤めをしていた女がペテロを目に留め、問い掛けた。

「おや?あの男の弟子じゃないかい?」

「何を言うのか。私は違う。」

屋敷の庭で彼らが火の側で小役人と召使たちと一緒に暖を取っていると、ペテロがそこにいることに気づいた彼らはペテロに聞いた。ちょうどイエスの尋問が始まった頃だった。

「お前、あのイエスという男の弟子のひとりじゃないのか?」

「私は、あの男の弟子などではない。」

すると一人の召使がペテロに詰め寄った。

「何を言ってるんだ!おれがお前を見なかったというのか?お前はマルコスを斬りつけたじゃないか!おれは見たぞ!」

「うるさい!知らないものは知らないと言ってるんだ!」

ペテロが腹立ち紛れに答えた時、鶏が鳴いた。

鳥の声を聞いてペテロはしばらく前にイエスが言ったことを思い出したに違いない。「あなたは私のことを三度、知らないと言います。」

ペテロほどにイエスを信じ、イエスに期待し、イエスを愛した弟子はいなかっただろう。熱い思いに動かされて大祭司の屋敷の庭までやってきたが、自分が追い詰められてしまうと、イエスよりも自分が大事になってしまうのである。

良いとか悪いとか、信仰が厚いとか薄いとか…そんなことではない。これが、人のありのままの姿なのだろう。