地上を歩いた神 41

復活されたイエスの姿を自らの目で一度ならず二度までも見た弟子たちは、それまで感じていた不安や悲しみが消え去っていくのを感じたことだろう。死の力さえもイエスの前では何もなせないことを知ったことで、イエスがいる限り恐れることは何もないであろうことにも気付いたかもしれない。いつまでも閉め切った部屋の中で今後のことを思い悩んで過ごすことに何の意味もなかった。

さて、まず彼らがしたことは食料の調達であった。何をするにしても、しっかりと食べるも食べて力をつけねばなるまい。腹が減ってはなんとやらというではないか。時は夜だったが彼らは小舟を湖に出して魚を捕ることにした。幸いにも、ペテロがそうであったように、弟子たちの多くは漁師の出身であるものが多かった。人から教えられるまでもなく、彼らは自分たちが何をするべきなのか分かっていたことだろう。どこへ舟を浮かべたら良いのか、どのように網を入れたら良いのか、彼らはそれを体で覚えていたはずである。ところが、この晩はいつもと様子が違った。

「妙なことだな。今夜は魚が一匹もとれない。今までこんなことはなかったと思うんだけど…。」

「まったくだな。一体どうしたというのだろう。先生に従うようになってから、まとも漁に出ることも少なくなったからなぁ。もしかしたら、感覚が鈍ってしまったのかもしれないな。最後に漁らしい漁に出たのはいつだった?三年くらい前か?」

「さぁ、どうする?このまま何も捕れなかったら飢え死にしちまうよ。」

舟に揺られつつ、互いに話し合いながら時を過ごしていた。やがて日が昇り、湖面が眩しく輝き始めた。すると、湖岸に立っていた一人の人が、彼らに向かってこう聞いてきた。

「おーい、何も捕れないのかい?」

「あぁ、何も捕れないね。」

「それじゃあ、舟の右側に網を下ろしてみたらどうだい?」

舟の上の弟子たちは互いに顔を見合わせた。

「誰だ、あれは?」

「知るもんか。地元の人間じゃないのか。どうせだからあの人の言うように網を入れてみたらどうだ。どうせ何も捕れていないんだし、今更損することもないだろう。もしかしたら、今度こそ捕れるかもしれないし。」

彼らは言われるがままに、網を再び水の中に入れた。しばらくして、網をあげようとすると、驚いたことになんと網が魚でいっぱいで、その重さの故に舟に引き上げることすらできなかった。しかたなく、彼らはそのまま網を引いて岸に向かうことにした。岸まであと百メートル程のところで、突然弟子の一人がペテロに言った。

「おい!あそこに立っているのは先生じゃないのか!」

ペテロが岸辺に目を向けると、確かにそこにいるのはイエスだった。嬉しさのあまり、彼は湖に飛び込み、泳いで先に行ってしまった。やがて、舟が岸につくと、火が起こされており、その上では魚が焼かれ、パンがすでに用意されていた。

「さぁ、捕れた魚をいくつか持ってきなさい。朝食にしよう。」

おもしろいことに、イエスの奇跡には食べ物や飲み物が出てくることが多い。ざっと思い付くだけでも、結婚式で水をワインにしたことがあれば、子供が持っていたわずかな食料で五千人の男の食欲を満たしたこともある。そして、今回の漁である。これらは何を伝えているのだろうか?イエスは食べたり飲んだりするのが好きだったということだろうか。それはそうかもしれない。しかし、それだけではないだろう。イエスが奇跡を起こして、人々の空腹を満たすと言うことは、つまり、人々の必要を満たすということになるのではないだろうか。しかも、イエスが与えるときには、有り余るほどに与えてくださるのである。五千人の男が食べてもまだ十二のかごにパンくずが余ったように、舟が魚の重みで沈みそうになったように、イエスが与える時は、十二分に与えて下さるのだ。神は出し惜しみをしない方なのである。