愚かさと知恵と
知恵のある人とは、果たしてどのような人たちを示しているのだろうか。確かだと思えることは、私はその中には入っていないだろうということである。私は自分自身の浅薄さというか、知恵の足りなさを十分に承知しているつもりである。もっとも物は考えようで、それを悲観したり、卑下したりする必要はないのかもしれない。私にとって都合の良い見方をするのであれば、自らの愚かさに気付かずに、自分は知恵があると思い込んでいる人々よりは、自分に欠けているものが何かを知っているということになるので、自分が求めるべきは何かを知っているからだ。もちろん、それを求める求めないは、また別の次元の話かもしれないが。
しかし私が悟らずとも言わずとも、人は知恵を求めるべきであるということは、ソロモンが幾度となく箴言の中で繰り返し言っていることである。ところで知恵のある人がどのような人物であるかを知るということは、どうすれば知恵を得るかを知ることになるのではないか。またその反対に、知恵のない者がどのような人物であるかを知るということで、どうすれば知恵を失ってしまうことになるかも知ることにもなるだろう。たとえ今の私に知恵がなくとも、少なくとも知恵のある人がどのような人であることかを知ることで、あわよくば私自身も少しは知恵を得ることになるのではないかと、ちょっとばかり期待をしているわけである。それでは知恵のある人について、ソロモンは何と言っているのだろうか。改めて箴言に目を向けていきたいと思う。
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