カテゴリー : 2019年の作品

良い神

神がなさった良いこと。今ひとつは……いや、ひとつふたつと神のなさったことを数えていくのはきりがないのではないか。

この一年を通して神のなさった良いことについて考えてみたが、改めて振り返ってみると神のなさる良いわざは、countless(数え切れないもの)であり、limitless(制限がないもの)であり、unmeasurable(はかることのできないもの)であるということだ。一方で神が悪いことをなさったかと考えてみると、これが何ひとつとして思い浮かばないのである。

たしかに私の周りでは何も悪いことが起きていないかと言えば、そういうわけでもない。それどころか、何かと私を悩ませたり、不安に感じさせたりするようなことの方が多いのではないかと思えてしまう。果たして、それでも神は何も悪いことをしないと言えるのだろうか。悪いと思えるようなことを見てみると、神がそれを起こしているというだけの理由を見出すことができないのである。それは私が信仰者であるがゆえに、良いことはすべて神のおかげであると考え、また悪いことはそうではないと思っているのだけなのではないか、人はそう言うかもしれない。確たる根拠があるわけでもないし、具体的な証拠を見せることができないから、そのように言われてしまっては、何とも反論のしようがないのだが。

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クリスマスの過ごし方

ステレオタイプとも言うべき日本の一般的なクリスマスの過ごし方といえば、ケンタッキーフライドチキンを食べたり、恋人同士で過ごしたり、ということになるか。何かの記事で読んだが、外国の方々の目にはこれが奇妙なものに映るらしい。たしかに外国人でなくとも、私もさすがにこれは何かが違うと思うこともある。メディアやコマーシャリズムに洗脳されているのではないかと、疑わずにはいられない。では、そのように言う外国の方々はどのようにクリスマスを過ごしているのだろうか。私の経験から言えば……もっとも1990年代のアメリカ、太平洋岸北西部でのことになるから、もしかしたら情報としてはやや古いかもしれないが……クリスマスというのは、家族や親戚が集まって、七面鳥やハム(念のために言っておくが、私たちが普段食べているあのハムではない)を食べて過ごすという具合である。どちらかと言えば私たち日本人のお正月の過ごし方に似ているかも。ちなみにアメリカには日本みたいにクリスマスケーキというものも存在しない。デザートが出てくる場合は、パイが多いかも。前月の感謝祭の時に材料をまとめて買ったのか、それとも買い過ぎてあまったのか、パンプキンパイが多かったような気もする。

たしかにそのような過ごし方をしてきた人には日本のクリスマスは不思議に思えるかもしれない。とはいえ、場所が違えば文化も異なるのだから、それも仕方のないことのように思える。考えてみれば、今の時期南半球は夏なのだから、北半球の住人のイメージするクリスマスとはだいぶ違うだろう。中学の頃の英語の教科書には、オーストラリアでサーフィンをするサンタクロースの写真が載っていたのを覚えている。

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賢明な人の探し物

こないだスクラッチを買ってみた。久しぶりに、である。日頃から買っているわけではない、念のために言っておくが。1枚だと当たらないかもしれないと思ったから、複数枚買うことにした。5枚買えばひとつくらい当たるかもしれないと考えるわけだが、購入価格が千円になってしまう。さすがにちょっと勿体ない。そこで、しばし考える。1枚よりは当たる確率も高くしたいし、5枚よりは安く済ませたい、というわけで落としどころとして4枚買うことに決定。ひとまず一晩寝かせておく。翌日、小銭入れから選ばれし幸運の百円玉を取り出し、削ってみた。当たらねぇ!だが、そんなことで落ち込む私ではない。きっと次がある。ここでを運を使わなかったのは、より大きな幸運が待っているからさ。そう信じて、自分を励ました。

それから数日。会社の忘年会が開催され、恒例のビンゴが行われた。商品は、iPadの第7世代、NintendoのSwitchにSwitch Lite、米沢牛……その他、色々。そうそう、これこれ。これのためにスクラッチで運を使わなかったのさ。番号が次々と読み上げられる。が、一向に穴が増えない。とうとうリーチにもならないまま、終わっちまったじゃないか!サランラップすら当たらない!まぁ、それでもよい。あくまでもポジティブ考えよう。きっとiPadやSwitchよりも、もっと良いものが待っているに違いない。そして、それからちょうど一週間。タリーズコーヒーの缶についていたシールが集まったので、タリーズカード千円分に応募してみた。ちょっとした運試し。千円分のカードが4万名に当たる!これくらいなら行けるかも……と淡い期待をしたのだが、やっぱダメだ!4万人の一人にすら選ばれないよ!

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Be Still

気付いてみれば、もう十二月。世の中では、師走と言われている時期である。師が忙しく走り回る時期だから「師走」である、と小学校の頃に習ったことがある。深く考えたことはないのだが、「師」が何を表すのかは、諸説あるらしい。ちなみに私は「師匠」の「師」だとずっと思ってきたのだが、今になって考えてみると、師匠が忙しく走り回るとは一体どういうことなのだろうかと、ちょっと想像しにくい図ではある。そもそも、師匠と言っても何の師匠なのかさえも不明である。とは言いつつも、師匠と呼ぶからには、何やら和風なものを想像してしまうのである。

しかしこの時期になるといつも感じることなのだが、一年というのはあっという間に過ぎてしまう、と。なぜなのか。おそらく毎日慌ただしく過ごしているせいなのかもしれない。ただひたすらに、目の前のことをこなしている。それだけで毎日があっという間に過ぎていく。振り返ってみても、何か大きなことを成し遂げたというわけでもない。むしろ何も達成せず毎日追われるように過ごしていたら、いつの間にやら一年の最後の月になっていた、そんな具合である。師走でなくとも、いやそれどころか何かの師でなくとも、常に忙しく走り回るように生きているのが、今の私なのかもしれない。

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幸せな人の習慣

神がなさった良いこと。今ひとつは、人が幸せになるための道を、神が備えてくださっていること。

何がきっかけなのかはまったく分からないが、時々何かの拍子に、自分は幸せなんだろうか、と考えてしまうことがある。そしてこれも毎度のことなのだが、そんなことを考えていると、では、幸せとは果たして何なのであろうか、という疑問も湧いてくる。幸せが何であるか、その答えは、今に至っても私には分からないままだ。おそらくいつまで考えてもその答えを見出すことはできないかも。結局のところ、幸せというのは明確な定義などないのだろう。人が幸せだと感じていれば、その人は幸せなのだし、反対に幸せじゃないと思っているのであれば、その人は幸せではないのだろう。その人がどう感じているか、それだけのことなのかもしれない。つまり、人を取り巻く環境や状況がその人を幸せにするのではなく、人が置かれている状況をどう捉えるかが人を幸せにもするし、不幸にもするのだろう。水が半分入っているグラスを見て、まだ半分残っていると考える人は幸せな人だろうし、半分もなくなったと考える人は幸せな気分にはなれないだろう。まったく同じ状況でも、それをどう捉えるかがその人を幸せを左右すると言うことか。

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