タグ : イザヤ書

パラダイス

楽園、もしくはパラダイスと聞いたときに、まず私の頭に浮かんだのは「スイーツパラダイス」である。スイーツとパスタなどの軽食の食べ放題のお店である。とは言っても、さすがに甘いものが好きな私でもスイーツばかり出されると、ちょっと困ってしまう。甘いものばかりだと、満腹になる前に味覚が麻痺してしまいそうだ。やはり腹が減っているときには、もっとちゃんとしたものを食べたいものだ。そうだな、スイーツではなく肉のパラダイスでもあれば文句なしだ。すき焼き、しゃぶしゃぶ、焼き肉、ソーセージにベーコン、ハンバーグにメンチカツ、唐揚げに焼き鳥……あぁ!好きな肉料理を心いくまで食べることができるのであれば、それこそパラダイスであることに間違いなし。そして、私の腹回りは贅肉のパラダイスになってしまうこと必至である。

それにしても、楽園とかパラダイスなどと言うと、俗的なイメージが先走ってしまいそうである。しかしながら、聖書で楽園と言えば、神が天地を創造されたとき、アダムとエバを住まわせたエデンの園のことを示す。(ちなみに、パラダイスの語源はペルシア語の庭であり、ギリシア語訳された旧約聖書でも使われている。)そしてエデンとは単なる庭というだけではなく、神が創造された、神の庭でもあった。後から追放されることにはなったが、一度は人もそこに住まうことが許されており、そこに実るあらゆる果実を食すこともできたのである。楽園と言えば、人の欲望を満たすことのできる場所と考えてしまいがちだが、本来の意味に遡るのであれば、パラダイスとは神の園なのである。
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ナザレのイエス

悪魔に誘惑された後、イエスがどうされたか、ルカがどのように記録しているかを続けて見ていこうと思う。それにしても、ルカの福音を最初から見てきたわけだが、いつの間にやら、すっかりイエスが主役になってしまったようで、福音書はイエスの自叙伝であるのかと勘違いをしてしまいそうになるが、そうではない。さて、何も今気付いたというわけでもないが、イエスご自身は何ひとつとして聖書に自著を残していない。大工の息子として育てられたとはいえ、仕事柄図面を引くこともあったかもしれないし、そう考えてみると、まさか読み書きができなかったわけでもないだろう。だけれども、考えてもみれば、せめて何か短くても良いから、手紙のひとつやふたつくらい残しても良かったのではないだろうか。それともよほどの筆無精だったのだろうか……とにかくイエスの手による書というのは聖書のどこにも見当たらない。新約聖書について言えば、誰かがイエスについて書き記したものが福音書として残されており、後は弟子たちが書いた手紙などが残されているだけである。もっとも「聖書は神の霊感によって書かれた」と言ってしまえば、それまでなのかもしれないが。それにしても考えれば考えるほど、なぜだろうか、と思えてくるのだ。いつか本人にそのわけを聞いてみたいものである。

それはさておき、ルカはイエスのその後をこう記している。「イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた。すると、その評判が回り一帯に、くまなく広まった。イエスは、彼らの会堂で教え、みなの人にあがめられた。」(ルカの福音4章14~15節)
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エッサイの家

11月も残すところあとわずか。ふと気付いてみれば、街の中はどこもかしこも、すっかりクリスマスに染まりつつある。今年も変わること無く、またこの時期がやってきたのか、と思ってしまう。とは言っても、心が躍るわけでもなければ、心が重くなるというわけでもない。むしろ冷めているというか、事務的というか、大した感慨もなく迎えていると言った方が正直であろう。それにしても、毎年のように不思議に思うのだが、信仰があるわけでもないのに、なぜ多くの人々はクリスマスにこれほどまで盛り上がることができるのだろうか。その一方で、信仰があるにも関わらず、なぜさほどにテンションの上がらない私がいたりするのだろうか。救い主であるイエス・キリストがこの世に誕生したことを記念する時であれば、なおのこと信仰者としては気持ちの高まりを感じたり、色々と考えることがあったとしても当然なのかもしれないが、どうにもそのような気分にならないのである。もしかしたら、信仰者の理想の在り方とはかけ離れた私の姿なのかもしれないが、果たして私のような感性の持ち主は少ないのだろうか。

何も自分の立場を弁護するわけでもないが、もしかしたらルカの福音を書いた著者も私と似たような思いを持っていたのではないかと考えてしまう。もっとも当時は今のような「クリスマス」という考え方がなかったからだと言えば、それもそうかもしれないのだが、どうやらルカもイエス・キリストが誕生したという事については、さほど強い思い入れがあったようには思えない。もちろん、これは私の勝手な推測でしかないことだけは、改めて言っておくが。
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強盗の巣、祈りの家

先日ニュースで話題になったが、就職・転職サイトやフリーペーパーで有名なリクルートが上場することになったそうだ。上場時の時価総額は一兆円を超える規模になるとの話もあり、嘘かホントか、はたまたタダの噂か真相はよく分からぬが、自社株を持っている社員は莫大な財産を手にすることになるという。もっとも手持ちの株を売ればという話であろうが。かく言う私も自社株を持っているのだが、年に一度配当金として二千円が払われるくらいである。もらえるだけ感謝なのだろうが。

それはそうと、今まで知らなかったし、気にしたこともなかったのだが、リクルートがそうであったように、企業の規模が大きいからと言って、必ずしも株式公開をしているわけでもないということだ。たとえば誰でも知っているところで、ウィスキーで知られているサントリー、六本木ヒルズを設計し管理運営を行っている森ビル、ファスナーの金具で誰もが世話になっているYKK、発行部数国内第二位の朝日新聞、これからの時期に食べたくなる「雪見だいふく」のロッテ、等が非上場だそうだ。あまりにも有名すぎて上場していて当然だろうと考えていたが、実は違ったのだから正直びっくりである。今回上場することに決定したリクルートにしても、非上場の立場を維持する企業にしても、それなりの理由があるのだろう。不幸にして、この辺の機敏さを私はまったく持ち合わせていない。そのような才覚があれば、おそらく今のように財布の中の千円札の残り枚数と、給料日までの残り日数を数えて、いかに出費を抑えるかと頭を抱えることもないだろう。
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暦の上では

十二月に入ってしばらく経ったなぁ、なんてことをぼんやりと考えていると、色んなことが頭に浮かんでくるわけだが、そのひとつに「暦の上ではディセンバー」が登場している。知っている人は知っているだろうが、過日話題になったNHKの朝の連続テレビ小説「あまちゃん」の中の劇中歌のひとつである。これといって最初の方は見ようとは思わなかったのだが、どういうわけだか途中からはまってしまった。それにしても2013年度上半期放送分だから実際には十二月に放送されたわけではないのだが、まぁ、物語の中では十二月の設定もあったのだろうから、ディセンバーがあっても構わないのだろう。さて立冬からひと月ほど経って、暦の上ではすでに冬である。

ところで冬と聞いて、私の頭に浮かんでくる言葉に「冬季限定」とか「冬限定」というものがある。どうにもこの言葉に私は弱い。これらが書かれているものに自然と目が向いてしまうのである。最近ではドトールコーヒーの店先で宣伝している「ラムレーズン・ミルクレープ」であろう。謳い文句は「冬限定!季節のミルクレープ」である。これが気になってどうしようもない。冬が終わってしまう前に是非とも一度は食べてみたいものであるが、どうも宣伝を見るだけで、なかなか店に入る余裕がないのが現実である。まことに残念なことである。
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