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全きいのち

もうあれから何年経ったことだろうか。少なくとも四半世紀は経ってしまっただろうか。それでもまだ私の心の中に残っている景色がある。イースターの朝、普段の日曜よりも早く起きて、朝の早い時間に、公園の中にある小さな湖の畔で行われる礼拝に参加する。そして礼拝が終わった後には、シアトルの街並みを対岸に見ながら海岸沿いの道を行ったところにある、打ち寄せる波の穏やかなピュージェット湾に臨むカフェで、まだ温かさの残るシナモンロールにホイップバターをたっぷりと載せて食べる。なんと贅沢な朝の過ごし方だろうか。まだ若くて、たいした悩みや心配も、負うべき責任もなく自由に過ごしていた頃だ。あのような日はもう二度と巡ってこないかもしれない。だが、それも仕方ないことかと、あの頃を懐かしむ自分自身と和解できるほどには私も成長したようである。

さてここ最近になって、ようやくイースターの知名度も上がってきたように思われる。とは言え、まだクリスマスほどには知られていないというのが現実であろう。さらに言えば、イースターと言うと、なぜかたまごが連想されてしまうようであるが、たまごが主役の日ではない。たしかにイースターエッグとは言うけれども、クリスマスにとってのクリスマスツリーがそうであるように、本来の意味や目的を象徴するための脇役でしかない。

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たまごよりだんご

桜が咲いた。文字通り満開である。家の近所の桜並木はこれでもかというほどの花を咲かせているし、夜の帰宅時の電車から見ることのできる大岡川沿いの桜は、露店の煌々とした照明に照らし出さていたり、ぼんぼりのおぼろな灯りに浮かび上がっていたり、遠くから見ても見事なものである。長らく灰色の寒々とした日々を過ごしてきた人々には、暖かな空気に包まれ、淡い桃色の花を纏う桜に春の訪れを感じるのだろう。この時期、桜の木のもとには―失礼な言い方になってしまうようで申し訳ないが―それこそどこから湧いて出てきたのかと思えるくらいに人が集まってくる。個人的な好みの問題でしかのかもしれないが、私は青々とした緑の葉を付けることもなく、ただ花だけを咲かせている桜というのは、苦手である。確かに華やかかもしれないが、どこかバランスを欠いているようで、どうも違和感を感じてしまうのだ。世に言われているような春の訪れを感じるには、何と言うか生命力や活力に乏しいような気がしてならない。

ところで、今日はイースターである。どこまで本気なのか分からないが、商魂たくましい企業などは、この日を玉子を食べる日として世間に広めたいらしい。彼らにしてみれば、イースターと言えば、海外ではイースターエッグが有名だということで、どうやらそれに乗っかろうという気持ちがあるようだ。それにクリスマスと比べると、イースターは盛り上がりに欠けているので商機と見ているところもあるだろう。もっとも多くの日本の消費者にとっては、この時期はお花見に忙しく、今さら玉子を宣伝されてもそれどころではないのかもしれない。この日の本来の意味を知る立場としては、イースターの認知度がクリスマスほど高くないのを残念に思う反面、誤った知られ方をしていないことはありがたいことだとも思う。
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わたしは、よみがえりです

今さら言うようなことでもないかもしれないし、もしかしたら前にも言ったことがあるかもしれない。でも、この時期になるといつも思うことがある。私はクリスマスよりもイースターの方が好きだ。ついでに言うと、イースターと書くと、どうも言葉の持つ重みというか、本来の意味が薄れてしまうようで、これもまたあまり好きになれない。というよりも、もしかしたら日本の場合に限定されることかもしれないが、イースターの意味も分からずに、ただ形骸化しただけの玉子やうさぎに象徴されるイベントのみを世の中が受け入れているように思えて、どうも気に入らない。だから私にしてみれば、復活祭と呼ぶ方がまだ好ましく思えるのである。もっとも、それではあまりに意味が直接的な気もするし、やはり世の中としては受け入れがたいのかもしれないが。

ともあれ、なぜ私はクリスマスよりも復活祭の方が好きなのか。それは、クリスマスに特有のどこか浮ついたかのような、にぎやかさというか騒がしさがないからだ。クリスマスプレゼント、クリスマスツリー、クリスマスパーティー等々クリスマスという言葉を頭にした言葉や、クリスマスを理由にした物事は数多くあるが、復活祭、もしくはイースターという言葉を頭にしたものは少ないし、それに関わる物も少ない方だろう。考えてもみれば、イエス・キリストがこの世に生まれた日も、多くの人々にとっては他の日と同じ、つまりいつもと変わらぬ日常だったに違いない。同じように、彼が墓場からよみがえられた日も、安息日ではあったが、やはり多くの人々にとっては他の安息日と何にも変わらぬ日であったろう。それを思うと、祭りの熱に浮かされたような空気の感じられないなかで過ごせる復活祭は、どこか私を安心させるのである。
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よみがえられたから

ちょっと立ち寄ったコンビニでイースターフェアなるものをやっていた。気付いてみれば、もうイースターなのである。どうもクリスマスと違って、イースターはその年によって日付が違うから、覚えにくい。去年は4月の最初の日曜日だったかと思えば、今年は3月の最後の日曜日だったりするのだ。では来年はどうかといえば、私が勘違いしていなければ、4月の第三日曜なのである。これでは覚えようがないというものだ。

さて、イースターと聞いたときに、世間の人たちが思い浮かべるのは、やはりイースターエッグなのかもしれない。それが理由なのだろうか、コンビニではたまごにちなんだ製品が目立つように売られている。たまごの形を模したパン、なるほど。カスタードクリームが入っているらしく、おいしそうだ。でも、カロリーも高そうだ。半熟たまごのチキンライスのおにぎり、まぁ、たまごに違いはない。オムライス、いや、もうイースターはあまり関係ないだろう。挙げ句の果てに、ゆで卵のスライスが載ったサラダに「ハッピーイースター」とシールが貼られていた。これなんてイースターじゃなくても普通に売ってるだろう。春野菜とあるから、季節的には今だけなのかもしれないが。
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死んでも生きる

気付いてみれば、今年もまたイースターがやってきた。毎年この時期になるたびに思うのだが、クリスマスは世間一般に広く知られ、受け入れられているのだけれども、イースターは今ひとつ人々に知られていないようである。まぁ、クリスマスは年末に近いこともあるし、長期休暇を目の前にして、何だかんだと人々の気持ちが高ぶっている時期と重なっていることもあって、多くの人たちが楽しみにしているようである。それに比べて、イースターの知名度が低いことは否めない。考えてもみれば、寒い冬が終わり、暖かい春を迎える時でもあり、桜の咲く季節とも重なるし、新年度の始まる時期でもあるので、それなりに人々の思いは盛り上がっているはずなのだが、だからと言って、この季節にイースターを連想する人はあまりいないというのが実際である。

かく言う私自身も、つい最近まで今年のイースターが4月5日であることをすっかり忘れていたのだから、あまり偉そうなことは言えないのだが……あ、そういうことか。クリスマスは毎年12月25日に決まっているから覚えやすいけれども、イースターには決まった日付というものがない。過ぎ越しの祭りの翌々日の日曜日であるとしか決まっていないわけだから、これでは、いつまで経っても人々からは覚えてもらえないだろう。そもそも過ぎ越しの祭りが何であるかを知っている人は、極めて少数派であろうし、なおかつ毎年の過ぎ越しの祭りが何月何日の金曜日であるかを知っている人は、さらに少ないであろう。そう考えてみれば、イースターが知られていないのも、仕方がないのでは、と思えてくる。
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