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ろばを手放す

我が家の玄関扉が交換されたというのは、前回も言った通りである。さて、玄関扉が新しくなって変わったことはいくつかあるが、そのうちの一つは、錠が二つになったということであろう。最近の家では珍しくないのかもしれないが、錠が一つだけの扉に慣れてしまったせいか、どうも違和感を覚えてしまう。今どきの扉のように、取っ手の上と下にそれぞれ錠がある。外から見れば、鍵穴が二つだし、内側から見ればサムターンが二つである。外から開けたり閉めたりするときは意識しているためか、鍵を二度回さなければならないことを忘れないのだが、内側から開けるときは、なぜか忘れてしまいがちである。朝出掛けるときに、上のサムターンだけ回して取っ手に手を伸ばすのだが、一瞬何か忘れたような気がして、あわてて取っ手の下にあるサムターンを回すという感じである。どうもまだ、連続した動作になっていない。

とは言っても、錠前が二つあるからと言って、それぞれが異なる鍵を持っているわけではない。どちらも同じ鍵が合うようになっている。だったら、そもそもなんで二つもあるのだろうか、と考えてしまう。それぞれが異なる鍵なら二重の防犯対策といわれても分かるのだが、同じ鍵であれば片一方が破られたら、もうひとつも同じようにして破られてしまうではないかと。まぁ、二倍の時間は掛かるかもしれないけど。もしやそれが目的なのだろうか。だったら納得できるのだが。それはさておき、たいした財産はないし、盗まれるようなものなんて何もない我が家であるが、やはり見ず知らずの他人がやってきて、数少ない金目のものを勝手に持ち出されてしまっては困るので、防犯対策は十分にしておいた方が良いに違いない。
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バプテスマ

寒い日が続いている今日この頃である。大人にとっては幸いなことに、子供にとっては残念なことに、積もり積もるほどの雪はまだ降っていない。多大なる期待を込めて、去年のような大雪にはならないだろう、と私は予想している。巷では寒いと布団から出るのが辛い、と言う人が多いようだが、私はそう感じたことがあまりない。それより何が辛いかと言えば、風呂に入ることである。もとより風呂が好きな人間ではないので、この時期冷え切った風呂場に入る行為は苦役に近いものがある。もっとも衛生面を考慮して、ちゃんと風呂には入っているが。そこでふと思い出したのが、アメリカにいた頃、寒い時期に屋外のプールで行われた洗礼式に立ち会った時のことである。真冬ではなかったにしても、枯れ葉が落ちるような時期に、水にドボンとやられるのは、荒行に近いものが感じられてしまう。洗礼を与える方にしても、受ける方にしてもだ。ちなみに私が洗礼を受けたのは夏休みのことだった。それも屋内でぬるま湯の張られたところである。あぁ、だから私の信仰はぬるま湯のような信仰になってしまったのだろうか……。

さて洗礼(バプテスマ)とは、そもそも何であろうか。もちろん実際に洗礼を受けたことがある信仰者、もしくはこれから受けようと考えている信仰者であれば、それが何を意味しているのか分かっているだろうし、仮に信仰は持っていないとしても、この分野に関する知識のある人であれば知っているかもしれない。ちなみに私が理解している洗礼の意味とは、まず水に突っ込まれるところが、キリストと共に死ぬことを意味し、その後水の中に沈むところが、キリストと共に葬られることを意味し、最後に水の中から引き上げられるところが、キリストと共によみがえることを意味している、というものである。
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