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満たされぬ渇き

時は金なり、という。何度も言われてきた言葉だから、今更驚くことでもなければ、新たな発見があるわけでもない。時間はお金と同じくらいに大切だという意味も、真新しいものではない。ちなみに、この言葉は18世紀のアメリカの学者でもあり政治家でもあったベンジャミン・フランクリンが最初に言ったというのが通説である。言葉の背景には、一日の半分を怠惰に過ごすことは、半日分の稼ぎを捨て去るのと同じことであると、若い世代に勤勉を勧める思いがあったようだ。


分かりやすいと言えば、分かりやすい。確かにその通りだろう、と納得もできよう。とは言えども、この言葉の通りではないのかもしれない、と思うこともあるのではないか。もしかしたら、何もしないで過ごすことは、同じだけの時間を掛けて何かを生み出すよりも価値がある場合もあるのではないかと。それが具体的に何かと聞かれても困るが。果たして両者を天秤に掛けたら、本当に均衡を保つことができるのだろうか。もしかしたら、どちらかが重くて傾いてしまうのではないか。そうなった場合、人は時間を選ぶのか、それともお金を選ぶのだろうか。

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永遠への思い

「あけましておめでとうございます。」

当たり前過ぎているからなのか、それとも聞き慣れていることもあってか、あまり考えたことはないかもしれないけれども、この挨拶、今さらかもしれないが、よくよく考えてみると新年限定なのである。一年の最初のたった数日間だけ使われる挨拶である。そう考えると、珍しく思えても不思議ではないのかもしれないが、この言葉に違和感を覚える人は、たぶんいないだろう。まるで遺伝子レベルで組み込まれているかのように、この数日間の挨拶といえば「あけましておめでとうございます」である。もちろん、そんな科学的な根拠はまるでないのだが。それにしても、なぜだろうか。「おはようございます」とか「こんにちは」とか普段当たり前のように使われている挨拶なのであるが、この数日間に普段の挨拶を聞いてしまうと、それはちょっと違うのではないだろうかという気持ちにさえなってしまうのだから、不思議なものだ。遺伝子ではないにしても、習慣として、常識として私たちの中に刷り込まれているのかもしれない。

ところで私がアメリカにいた頃は、たとえ正月であっても、この「あけましておめでとうございます」というものがなかった。文化も習慣もまったく異なるのだから、当然と言えば当然である。もちろんアメリカではアメリカなりに、”Happy New Year!”と言うこともあったが、これは年が明けた深夜0時のその瞬間くらいであった。その翌々日にクリスマス休暇が明けてから、学校に行って出会った人に”Happy New Year!”と挨拶することはまずなかった。もしうっかりして日本人の感覚で新年の挨拶をしようものなら、何寝ぼけたことを言ってんだくらいに思われてしまうかもしれない。そもそも、正月三が日の概念すらないのだから、しようがない。
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