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神によって造られた

新しい一年の始まりである。今年はどんな一年になるだろうか、とぼんやりと考えるよりも、今年はどんな一年にしていこうかとか、今年はどんな一年にしたいのだろうか、と前向きに、積極的に考える方が生産性が上がって良いのかもしれないと、そう思っている今日この頃である。

一年の計は元旦にあり、と考えるときに、ここ十年、いやもしかしたら二十年くらいになるかもしれないが、真っ先に思いつくのは、今年こそは体重を落とすとか、痩せるとか、そういうことが多いような。毎年毎年飽きもせずに同じことを思いつのかと、自分の発想の貧弱さを恨めしく思うこともあるのだが、よくよく考えてみれば年末から年始にかけて、クリスマスの時期とも重なっていることもあり、家の中に食べ物が豊富にあってためらうことなく食べてしまうから、自然と体重が増してしまうのである。なお、このひと月の間にどれだけ重量を増してしまったのかと気になって体重計に乗ってみたら、2キロ近くも増えていることが発覚。これが現実だから、真っ先に頭に浮かぶのが「痩せなきゃ」というのも納得できよう。「天高く馬肥ゆる秋」と言うけれども、私の場合は一番肥えるのは冬のこの時期なのである。体に脂肪をつけて寒さをしのぐとか、そんな言い訳も通じないだろう。むしろ、その余った脂肪を燃焼させて、体を暖めるくらいの運動をする方が色々と効果的な気がする。

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数えてみよう

新しい年が始まった。新しい一年の始まりにあたり、その年の目標を立てるというのが一般的な日本人の考えることであろう。かく言う私自身もここ数年ほど、体重を減らすという目標を立てていたものだが、ようやく昨年はその目標を達成することができた。ということで、これ以上体重を減らす必要もなくなったわけだし、何か新しい目標を見つけないとなぁと思う新年である。さて、どうしたものか。まぁ、それについては、しばらく考えてみることにしよう。

ところで一般的な日本人としてではなく、キリスト者として新しい一年の始まりを迎えて、ふと思い出したがある。たとえば教会などでは、その一年の主題となる聖書の箇所、いわゆる年間聖句というものを決めていたりもするが、同じことをひとりの信仰者として、やってみるのはどうかということである。もしかしたら、似たようなことをやっている方々は大勢いるかもしれない。いや、私が気付くのが遅すぎるではないかと言われてしまうかもしれないし、そう言われたとしても反論のしようがないのだが。そんな私の心に浮かんだのは、このような聖書の箇所である。「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」(詩篇103篇2節)
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荒野でのこと

日本海を見に行く、というのが昨年の私の目標であった。残念ながら、達成することができないまま新しい年を迎えてしまった。なぜ日本海を見に行くという目標にしたのか……正直に言えば特別な理由など何もない。単純に、今まで日本海を見たことがないからという、ただそれだけである。仕事が落ち着いたら、お金に余裕ができたら、などと考えていたが、現実はそれほど甘くはなかったのである。日本海どころか、昨年の暮れには、県内に一ミリたりとも海岸線がない栃木県に長期出張という、まったく想像すらしていなかった目に遭ってしまった。仕方がないと言えば、仕方がない。ちなみに、数年前に体重を減らすという目標を立てていたこともあったが、昨年はそれを達成することはできた。もちろん、体重を減らすというのは、とうに諦めていたというか、どうでもよくなっていたので、あえてそれを年間の目標にしようなどとは思わなかったのだが。不思議と、目標に挙げることをやめたら、達成できてしまった。一年の計は元旦にあり、と言うが、さて今年の目標は何にしたものか。

ところで今年こそは何をしようかとか、何ができようかとか、そんなことを考えたとしても、一年365日という限られた時間の中で何かを成し遂げるというのは、なかなか容易なことではないようにも思えてくる。それとも、私の努力が足りないだけなのだろうか。何かをしようと決めても、結局は何もしないかもしれないことへの、ただの言い訳なのだろうか。そんな一年のことで悶々としているとき、ふと思い出したことがある。遠い昔、荒野を四十年間さまよったイスラエルの民がいたということを。
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錬金術

昨年の世相を表す漢字として選ばれたのは「金」であった。昨年はオリンピックが開催され、日本は金メダルを12個獲得し、史上4番目であった。さらに銀や銅も含めたメダルの総数でいえば41を獲得したということで、史上最多という結果を残した。四年後開催の東京オリンピック、明るい日本への願いを込めた漢字ということで選ばれたという。この字を見て、「キン」と読んだ人はおそらくそのような考えを持っていることだろう。ところで私はどうかといえば、「カネ」と読んでしまった。ちなみに「金」の字が選ばれた他の理由は、前東京都知事の政治資金問題、築地市場移転問題、さらには同じオリンピックの話題でも巨額経費問題が挙げられている。どうやら「金」という字から「マネー」を連想するのも、あながち間違いではないらしい。ちなみに私が「カネ」と読んでしまった理由は、別に社会的な問題がどうのこうのというのとは、まったく関係ない。純粋に私の財布の事情から、そのように読んだまでである。

そういえば、子供の頃、正月のメインイベントと言えば、お年玉をもらうということであったような。あの頃は、もらえるということだけを期待すれば良かっただけだから、今になって振り返って考えてみれば、実に気楽なものである。今はひと月働けば、お年玉でもらっていた金額の何倍ものお金が手に入るのだが、その一方で出て行くお金も同じく何倍にも増えていることもあってか、気楽とはほど遠い。それどころか、悩みの種でさえある。
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確かなものに期待

さて、今年はどのような初夢を見るのだろうか。縁起が良いものとして「一富士二鷹三茄子」とは言うけれど、初夢に限らず、夢にそのようなものが出てきたという記憶すらない。とはいえ、人は一晩の間に数回ほど夢を見るというから、もしかしたら覚えていないだけで、富士山を背景に鷹が茄子を運んでいる場面を夢に見たことがあるかもしれない。もっとも、その確率は皆無に等しいだろうが。ともあれ、どんな夢を見るにしても、願わくばめでたい夢を見たいものである。

ところで初夢ではないが、先日パチンコ屋に行くという夢を見た。パチンコ屋というと、たばこ臭いとか、うるさいとか、そういった否定的な印象しかないのだが、なぜか夢に見てしまった。店舗の横を通るだけでも、換気扇から吐き出されるたばこの煙が耐えがたいと感じ、ドアが開いた瞬間に漏れてくる音を耳障りに思う私なので、実際には足を踏み入れたことは一度もない。そんなパチンコ屋の内側をまったく知らぬ私が、夢の中でパチンコ屋に行って一体何をしていたのかといえば……何をどうしていいのか分からずに右往左往しているだけであった。考えてもみれば、日中の生活における体験に基づいて夢を見ているのであれば、それも当然だろう。やったことがないことを夢の中でいくらやろうとしても、できないのは仕方がない。でも、よりによってなぜパチンコ屋なのか。その理由は何となく分かる気がする。宝くじの還元率は50%未満、パチンコの還元率は平均して85%という話をちょっと前に聞いてしまったからだろう。おりから宝くじを買いそびれていたのでなおさらである。
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