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永遠の治世

残念ながら、まったく知らなかった。桜の咲く時期に合わせて皇居乾通りが一般に公開されていただなんて。今上天皇の傘寿を記念してのことだという。どうやら、秋にも実施するそうなので、機会があれば是非とも訪れたいものである。そういえば、数年前のことだが、仕事の都合で午前中は水道橋、午後は日本橋へと出掛けなければならない用事があったので、天気の良い日だったこともあり、内堀通りを通って、皇居前広場へと周りの風景を見ながら歩いたことがあった。皇居前広場に立って、皇居正門、正門石橋を眺めつつ、門の向こう側、橋を渡ったあちら側に、今上天皇があらせられることを考えると、改めて日本人として生まれきてよかったと強く感じることとなった。考えてもみれば、日本の皇室は世界で一番歴史があるのだ。神武天皇から数えて二千六百年以上も続いているのだから、日本の歴史と同じくらいの長さがあると言えよう。ちなみにEmperorの称号を与えられている存在は、現在では日本の天皇陛下だけである。考えてもみれば、それだけの間、その立場を利用しようとした者たちは数多くあれど、何者もその座を奪おうとしなかったのだから、不思議としか言いようがない。

キリスト者の私が言うのもヘンなことかもしれないが、キリスト教の歴史よりも長いのだから、改めて驚かされてしまう。考えようによっては、日本の皇室よりも長い歴史を持っている存在があるとすれば、それはイスラエルの王、イエス・キリストしかいないのではないだろうか。どれくらい長いかと言えば、彼は天地万物が創造された最初から存在しており、この世界が滅び失せるその後も、すなわち永遠に生きられるのだから。まぁ、無限に続く神の治世と、限りある人間の歴史を比べるのは、そもそも意味がないことかもしれないが。
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ソロモンの願い事

遠い昔、ソロモンと言う男がいた。ソロモンが誰であるかは、今さら私が説明するまでもあるまい。彼は父ダビデの後を継いでイスラエルの王となった人物である。彼がどのようにして王となったのかを詳しく述べようとは思わないが、彼は自ら望んで王になったというわけではなく、むしろ彼の母が望んだと言った方が正しいかもしれない。そんなこんなで彼自身が望んだかどうかは分からないが、結果として王になったのだった。

しかしながら振り返って見れば、彼の父であり先代の王であったダビデも望んで王になったわけでもなかったし、先々代のサウルにしても願って王になったわけではなかった。彼らは立候補したわけでもなければ、力付くでのし上がったわけでもない。それよりも神に選ばれて、また人々から期待されて王になったという方があっているかもしれない。そう考えてみると、イスラエルの王たちはどちらかと言えば、元来が無欲な人物だったのではないかとも思えてくる。果たしてその反動なのか、王になって権力を手にしたことによって、それまで鳴りを潜めていた欲が姿を現わしたのではないかと思われる行動が目立つようになった。サウルはあくまでも王位にしがみつこうとしたし、ダビデは部下の妻を奪わんとして、その部下を意図的に危険な場所に送り込んで死なせてしまったではないか。また自ら王位を欲した者たちも、求めたものを手にいれることができなかったばかりか、自らの命さえをも失ってしまったではないか。なるほど欲というものは、人を迷わせるものであるというは、確かなのかもしれない。
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アドニヤの執着

遠い昔、アドニヤと言う男がいた。彼はダビデの息子の一人であったわけだが……考えてもみると、ダビデの息子たちには野心家が多いような気がする……と言っても、目立ってしまうだけで、多いというほどでもないのかもしれない。父であり王であるダビデに対して謀反を起こした息子もいたかと思えば、このアドニヤも似たようなことしている。もっともアドニヤはあからさまに父であり王であるダビデに敵対したわけではなかった。彼は年老いて弱ってきたダビデの様子を見て、ダビデ亡き後に王の座に座ろうと考えており、その準備を進めていたようだ。

そしてまだ王が存命のうちに、彼は「私が王になろう」(Ⅰ列王記1章5節)と宣言し、「戦車、騎兵、それに、自分の前を走る者五十人を手に入れ」(同)たのだ。もっとも彼の上には兄が二人いたが、二人ともすでに死んでいたので、順番から言うと彼が王位を継ぐはずであった。そう考えると、もしかしたら彼はそんなに必死にならずとも、野心を燃やさずとも、神のことばを守りながら、じっと待っていれば王になれたかもしれない。しかし理由はよく分からないが、彼は時期が来るのを待たずに、自ら王になると心を決めてしまったのだ。
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