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百人隊長の信仰

さて、イエス・キリストの噂は広がる一方であった。長らく救い主の到来を待ち望んでいたユダヤの民にとっては、彼がイスラエルの王となるべきお方であるかどうかと気にしていたであろうし、また律法学者や宗教家たちは、彼らの立場を危うくする人物であるかと不安を抱きながらイエスに対して否定的、攻撃的な考えを持つようになっていたことだろう。だが多くの人々にとっては、彼は病に苦しむ人々を癒やし、悪い霊に取憑かれた人々を解放する一方で、神の福音、すなわち良き知らせを伝える教師という面も持ち合わせた、言うなればありがたいお方であったに違いない。それゆえ群衆は彼のところへと集まってきたのであろう。そしてユダヤ人でなくとも、やはりイエス・キリストの噂を耳にした人々は大勢いたことだろう。イスラエルの事実上の支配者であったローマの国民にもイエスのことは知られていただろう。

しかしながら、ローマ人たちがイエスのことをどのように受け止めていたのかは、聖書から知ることはできない。というのも聖書の意図する最大のオーディエンスがイスラエルの民であることを考えると、仕方がないことも納得できよう。だが当時のイエス・キリストをユダヤ人以外の視点から見たら、どのように映ったのかということには興味がある。聖書には書かれていなくとも、当時の文献や記録などを探せば何らかの手掛かりは掴めるかもしれないが、さすがに歴史家でもない素人の私には難しそうだ。将来時間に余裕が出来た時の楽しみにでも取っておくとしよう。
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テオピロへ 44

ローマ皇帝に上訴することを望んだパウロは、他の囚人たちと共にローマへ向かう船に乗せられた。この旅にはルカも同行することになったようだ。もしかしたら、他の信徒やパウロの友人たちもいたかもしれない。なぜ囚人たちを乗せた船に彼らが一緒に乗船できたのか、なぜ彼らが同行することを許可されたのか、考えてみれば不思議なことである。しかし今までのことを考えてみれば、何とはなしに納得もできよう。

ローマの人々はパウロに対してどちらかというと好意を持っていたようだ。彼らの目には、パウロは彼の同胞であるはずのユダヤ人たちから不当に恨まれているように映ったことだろう。彼らにしてみれば、パウロは何の罪も犯していないのに、あたかも極悪人であるかのように恨まれていたし、何よりユダヤの王であるアグリッパでさえも、彼に何の非も見出せなかったのである。パウロに同情こそすれ、彼を憎悪する理由は何もなかったのだ。
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