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パンと杯

私の通う教会でもそうだが、私が知る限りどこの教会でも、教団や教派に関係なく、その手順に若干の違いこそあれ、聖餐式を必ず守っている。まだ私がアメリカに居た頃のことだが、ある日曜日のこと、ガムを噛みながら礼拝に出ていたことがある。いつもはそのようなことはなかったのだが、たまたまその日は眠かったのか何なのか、今となっては理由を思い出すことはできないが、礼拝が終わるまでガムを噛み続けていた。ところが、すっかり私が忘れていたのか、それともまるで意識していなかったのか、始まる時までその日が聖餐式であることに気付かないでいた。なので、ガムを捨てる機会を失ってしまった。

さて、ガムを口に入れたまま、私のところに回ってきた「キリストのからだ」の象徴であるパン(ちなみにその時はパンではなく、スープに入れるようなクラッカー)、さすがに受け取らずに過ごすのもためらわれたので、まずは取ることにした。全員に行き渡ったところで、口に入れることになったのだが、ひとまず口の片側にガムを寄せて、反対側でクラッカーを噛んでみた。だけど、どうもうまくいかない。ガムのようにふにゃふにゃとした柔らかいものと、クラッカーのようにパサパサと乾燥した脆いものを同時に口にした状態で、それぞれを別に扱うなどと器用なことは無理だった。小さくなったクラッカーのかけらがどんどんガムに吸い寄せられて、いつの間にやらガムとクラッカーはひとつの得体の知れぬものになってしまった。それでも噛み続けると、今度はクラッカーと混ざったおかげでガムが小さな断片に分かれやすくなってきたようで、しばらく後「キリストの血」の象徴である杯が回ってくる頃には、ようやく口の中からガム諸共になくなってくれた。
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