かまどのすす

「主はモーセとアロンに仰せられた。『あなたがたは、かまどのすすを両手いっぱいに取れ。モーセはパロの前で、それを天に向けてまき散らせ。それがエジプト全土にわたって、細かいほこりとなると、エジプト全土の人と獣につき、うみの出る腫物となる。』」(出エジプト記9章8~9節)家畜たちが疫病にかかって死んでしまうという災いに見舞われたエジプトの民に、次なる災いが待っていた。神はモーセとアロンにこれからエジプトに起こることをこのように言っている。今度の被害者はエジプトの家畜ではなく、エジプトの民であり、前の疫病から逃れた家畜であり野の獣であった。今までいくつかの災いに見舞われたが、エジプトの民に直接的な害が及ぶことになるのは、実に今回が初めてのことなのだ。ここまで被害が大きくなると、さすがにエジプトの民が憐れに思われてくる。エジプトの民のすべてがイスラエルの民を敵視していたわけでもないであろうし、これまでに起きたことからイスラエルの神を認めているエジプト人も少しはいたかもしれない。しかし神はその手を緩めることはなかった。

モーセとアロンがエジプトの民をどのように思っていたのかは、分からない。彼らに同情を寄せて憐れんだか。それともイスラエルの民を苦しめる憎い者たち、イスラエルの神を認めぬ愚かな者たちと見ていたのか。確かなことは、二人は神がそうするように仰った通りに「かまどのすすを取ってパロの前に立ち、モーセはそれを天に向けてまき散らした。すると、それは人と獣につき、うみの出る腫物となった。」(同10節)

続きを読む

生き残った家畜

「ヘブル人の神、主はこう仰せられます。『わたしの民を行かせて、彼らをわたしに仕えさせよ。もしあなたが、行かせることを拒み、なおも彼らをとどめておくなら、見よ、主の手は、野にいるあなたの家畜、馬、ろば、らくだ、牛、羊の上に下り、非常に激しい疫病が起こる。しかし主は、イスラエルの家畜とエジプトの家畜とを区別する。それでイスラエル人の家畜は一頭も死なない。』」(出エジプト記9章1~4節)このような神からのメッセージを、モーセはエジプト王パロに伝えた。次から次へと災いに見舞われているエジプトであるが、神がその手を緩める様子は見られない。それもそのはず、パロが心を頑なにしイスラエルの民を解放せずにいる限りは、神はエジプトに対して自らの力を示し続けるだろう。

これまでに起こった災いはエジプトの民に不自由な思いをさせたり、不快な経験をさせたり、また一時的な痛みや痒みをもたらす程度の災いであったが、今回は家畜の疫病である。徐々にエジプトやエジプト人への被害が現実的なものとなりつつあることは、誰の目から見ても明らかであろう。さて家畜の疫病と言えば、今日でも時々に話題に上ることがあるが、野生のイノシシから家畜の豚が感染することがある豚熱(豚コレラ)が知られているだろう。万が一にも感染した豚が見つかったら、その農場で飼育している豚をすべて殺処分しなければならないなど、畜産農家の負担は計り難い。経営再建が厳しく廃業に迫られる農家もいるとか。それでも今の日本では、被害額の何割かが手当として行政から支給される制度もあるので、すべてを失ってしまうということはないだろう。

続きを読む

かゆみ、虫刺されに

「アロンは手を差し伸ばして、杖で地のちりを打った。すると、ぶよは人や獣についた。地のちりはみな、エジプト全土で、ぶよとなった。」(出エジプト記8章17節)蛙の次は虫である。ぶよが大量発生しただけでも、かなり困った状況だろうが、問題はそれだけでは収まらなかった。加えて「おびただしいあぶの群れが、パロの家とその家臣の家とにはいって来た。エジプトの全土にわたり、地はあぶの群れによって荒れ果てた。」(同24節)ぶよとかあぶとか、横浜に住んでいるとあまり遭遇することはない。そもそも私の記憶にある限りでは、刺されたということがない。どちらにしても、家畜や人の血を栄養としている奴らである。似たものに、これからの時期私たちを悩ます蚊という厄介な奴らもいるが、ぶよだのあぶだのは、蚊が注射針に似たものを皮膚に突き刺して血を吸うのとは違って、皮膚を喰いちぎって血を吸う。だから刺されると、とても痒くて、しかも痛いらしい。経験したことがなくて幸いである。

それにしても、なんでまたぶよとあぶなのだろうか。確かに蚊と比べたら、厄介なことに違いはないが、甚大な被害を及ぼすようなものでもないだろう。そういえば、これまでの出来事を振り返ってみると、ナイルの水が血になったことも、ナイルから蛙の大群が上がってきたことも、どれもエジプトの民を不安に陥れ、その生活を不快なものとさせることにはなったが、結果としては王や人々に精神的な影響を与えただけで、肉体的にはそれほどのダメージはなかったようだ。そして、今度は血を吸う虫たちである。一匹や二匹だったら、鬱陶しいと言って済まされてしまうだろうが、地のちりが虫になってしまったのである。文字通り、地の砂の数ほど、数えることなど無理なほどの虫がその辺を飛び回っているのだ。追い払っても後から後からやってくるのである。噛まれない者はいなかったに違いない。命に直接影響を及ぼすことがないとはいえ、それでも直接的な被害を受けることになってしまったのだ。

続きを読む

増えすぎた蛙

「アロンが手をエジプトの水の上に差し伸ばすと、かえるがはい上がって、エジプトの地をおおった。」(出エジプト記8章6節)ナイルの水が血になり、七日の後にようやく元の通りに戻って一安心かと思いきや、再びアロンがナイルの上に手を伸ばした。パロが頑なにイスラエルの民を行かせることを拒んだからである。次は何が起こるのかと、その様子を見たエジプトの人々は恐れたであろうし、イスラエルの人々はモーセとアロンを通して神がどのようなわざを行われるかと、今度こそはエジプトの王が自分たちを解放してくれるのではないかと、期待をしていたかもしれない。そして何が起こったのかといえば、かえるの大群が現れたのだった。

神は何が起こるかをモーセにこう言っていた。「見よ、わたしは、[パロ]の全領土を、かえるをもって、打つ。かえるがナイルに群がり、上って来て、[パロ]の家にはいる。[パロ]の寝室に、[パロ]の寝台に、[パロ]の家臣の家に、[パロ]の民の中に、[パロ]のかまどに、[パロ]のこね鉢に、はいる。こうしてかえるは、[パロ]と[パロ]の民と[パロ]のすべての家臣の上に、はい上がる。」(同2~4節)ところでエジプトにおいて、かえるは珍しい存在ではなかった。それどころか毎年の洪水により土地が豊かに潤されるナイル流域では、かえるが大量に発生するのはいつものことだったであろう。かえると言われて今思い出した。私が夏に栃木に出張していた時のことだが、田んぼという田んぼから、かえるの鳴き声を聞くことができたし、ある時には私が滞在していたマンションの三階の窓の外側にかえるがくっついていたこともあった。条件さえ整っていれば、かえるというのは大発生するようだ。

続きを読む

血の川

「モーセとアロンは主が命じられたとおりに行なった。彼はパロとその家臣の目の前で杖を上げ、ナイルの水を打った。すると、ナイルの水はことごとく血に変わった。ナイルの魚は死に、ナイルは臭くなり、エジプト人はナイルの水を飲むことができなくなった。エジプト全土にわたって血があった。」(出エジプト記7章20~21節)蛇の次は血の川である。どちらにしても、正直言ってあまり気持ちの良いものではない。それどころか地の川とは、文字通り生臭くて耐えられないものであったに違いない。もし川の水が「血のようになった」ということであれば、まだ理解はできる。実際プランクトンや藻の異常発生などにより海や河川の水が赤くなることは、ありふれた自然現象なので珍しいことでもなければ、不思議なことでもない。

しかし川の水が血になるとは、普通に考えてみれば、まずあり得ないことである。もしかしたらこれはナイル川で赤潮が発生したのではないか、そういう意見もあるだろう。確かにここで書かれている現象は、赤潮に伴うものと共通点が見られる。例えば魚の死である。海中のプランクトンがエラに詰まったり、酸素濃度が低くなったりで魚が窒息してしまうというのは、実際の漁業被害としてあることだ。瀬戸内海地方では年に億単位の被害が出る年もあるとか。また臭いの問題もある。数年前に東京湾北部で赤潮が発生した時には、千葉市内や都内で悪臭に関する苦情が相次いだこともあった。赤潮の水を飲んでも直接人体に悪影響はないというが、魚が死んだり、悪臭を放っている水を飲もうなどとは、さすがに誰も思わないだろう。

続きを読む